更新日: 2024年11月6日
一条天皇はどんな人だった?~才学に富み、笛の名手だった摂関時代の天皇
第66代天皇で円融天皇の第1皇子として生まれました。藤原摂関政治の全盛期を現出し、藤原北家より定子、彰子を中宮とし、藤原氏との調和に努めた天皇でした。
その人柄はやさしく、芸術性も優れていたといわれる天皇は、どのような人物だったのでしょう。
一条天皇は藤原摂関政治全盛時代の天皇
一条天皇は円融天皇(えんゆうてんのう)の第一皇子で、母は藤原兼家の娘・詮子。4歳で皇太子となり、寛和2年(986)に花山天皇の出家を受けて数え年7歳で即位しました。在位中は外祖父の兼家、その長男の藤原道隆が摂政、関白として政権を主導し、道隆の没後はその弟の藤原道長が権勢を掌握しました。
一条天皇は道隆の娘・定子を中宮に迎えていましたが、道長が権勢を握ったのちも彼女への寵愛は変わりませんでした。やがて一条天皇は道長の娘・彰子を女御に迎え、道長は定子を皇后、娘の彰子を中宮にして1帝2后の道を開きます。定子との間に1男2女、彰子との間に後一条、後朱雀両天皇が誕生しています。
寛弘8年(1011)、病により従兄弟の三条天皇に譲位ののち、崩御しました。
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