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チンギス・ハンがイスラム世界へ来襲し、バグダードの栄光は焼け落ちた

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年8月28日

チンギス・ハンがイスラム世界へ来襲し、バグダードの栄光は焼け落ちた

チンギス・ハンは、13世紀に入るとイスラム世界へもその勢力を伸ばしてきました。西洋から十字軍の危機が訪れた中東に、真の大厄災が訪れます。

チンギス・ハンが、イスラム世界へ来襲した

12世紀半ば、モンゴル高原東北部にひとりのカリスマが生まれました。テムジン、後のチンギス・ハン(位1206〜27)です。チンギス・ハンは複数の氏族・部族をまとめあげ、東西貿易路に沿った諸地域を征服して財政基盤を確立すると西にも目を向けました。

チンギス・ハンは、途上ニーシャープールでは犬猫の類まで殺し、ムスリム史家によると犠牲者は174万人余といいます。チンギス・ハンは1227年に没すると、帝国と破壊・殺戮行為は息子らに受け継がれました。

チンギス・ハンの孫フラグ

チンギス・ハンの孫のフラグ(位1256〜65)は、兄モンケに西アジア征討を命じられアサシン教団のアラムート城砦を破壊、文物をすべて破棄し教団は壊滅しました。1258年にはバグダード攻撃を開始、2週間強で征服どころか人々は皆殺しにされ、街は灰燼に帰しました。

バグダードに築き上げられた壮麗なイスラム文化はすべて失われたのです。ここにアッバース朝(※1)は、名実ともに滅びました。フラグはアナトリアからイラン、中央アジア西部にいたる広大なかつてのイスラム帝国をイル=ハン国として治めました。

しかし後に同地のモンゴル人はイスラムに帰依することになります。1295年ガザンがイル=ハン国第7代君主の座に就くとシーア派イスラムへ改宗、家臣たちも続きイスラム教が国教となりました。中央アジアのチャガタイ=ハン国と南ロシアのキプチャク=ハン国のハン(君主)もイスラムに改宗しました。

※1アッバース朝…8世紀半ばに興ったイスラム王朝。大いに繁栄したがセルジューク朝の台頭もあり力を失っていました。

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