更新日: 2024年8月28日
十字軍がセルジューク朝トルコに派遣された~イスラム世界に来襲した外敵・十字軍
11世紀に入ると十字軍が中東へやってきます。イスラム世界の勢力衰退・分裂に乗じ、十字軍がエルサレムを奪取するのです。
目次
十字軍はイスラム勢力分裂に乗じ、エルサレムを奪取した
最初の厄災は西から訪れました。1071年セルジューク朝トルコ(※1)がマラズギルトの戦いで大勝、ビザンツ皇帝を捕虜にするとビザンツからローマ教皇に救援要請がなされました。
7世紀からムスリムの領土となっていた聖地エルサレムを異教徒から奪還せよとローマ教皇が群衆に呼びかけると第1回十字軍がなり、イスラム勢力の分裂などに助けられ東地中海沿岸地帯を侵攻・占領、エルサレムを落としエルサレム王国(1099〜1291)を成しました。従軍したある十字軍兵士は通りに首・手・足が山積され騎馬は膝まで届く異教徒の血の中を進んだと記し、18世紀の英歴史家ギボンはエルサレム陥落時2日で7万人が虐殺されたとしています。
※1セルジューク朝トルコ…イスラム化したユーラシア内陸部のトルコ(テュルク)系言語を話す遊牧民の王朝。西進して領土を広げアッバース朝を圧迫しました。
十字軍からエルサレムを取り戻した英雄
エルサレムをムスリムの手に取り戻したのが、アイユーブ朝を開いた通称サラディン(位1169〜93)です。彼は包囲戦や交渉などにより十字軍占領地のほとんどを無血解放し、西洋人にエルサレムも平和的に手放すよう呼びかけました。
いわく、キリスト教徒は去るも留まるもよし、宗教実践を許し礼拝所は保護し巡礼も歓迎しよう、と。しかし交渉は受け入れられず、1187年サラディンはエルサレムを包囲、奪還しました。正統カリフ2代ウマルにならって虐殺や略奪は行わず、捕虜はすべて身代金を受け解放しました。後には第3回十字軍と和してもいます。
ところで十字軍は広大なイスラム世界のごく一部での事件で、内陸の大都市に住むムスリムたちは、海岸地方で西から来た野蛮人たちが乱暴狼藉を働いているらしいと聞くか、もしくは知りもしませんでした。真の大厄災は13世紀、東からやってきたのです。
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