更新日: 2024年8月29日
セルジューク朝は、イスラム帝国の拡大と分裂により興ったトルコ人の王朝
セルジューク朝は中東アジアから西進、イラン・イラク・シリアまで達しバグダードに入城します。イスラム帝国が拡大していきます。
目次
セルジューク朝が興るまでの流れを把握する
後世のアラブ人にとっては、7~12世紀とはイスラム帝国が「世界」を支配した偉大な時代でした。ウマイヤ朝そしてアッバース朝は、イスラム信仰を掲げて西では北アフリカやイベリア半島にまで領土を広げました。また東ではイラク、イランを支配下に置きます。さらに東進したイスラム教徒の軍隊は751年、タラス河畔の戦いで唐の軍隊を破ります。中央アジアのイスラム化を語る上での大事件でした。イスラム帝国は途方もない空間を支配したのです。
イスラム文明が花開いた立役者は、ペルシャ人たち
支配地域の拡大とイスラム教の広がりは、歴史に新たな展開を用意しました。一つはアラブ人以外がイスラムを受け入れたことで、アラブ的な文化と非アラブ的な文明を融合したイスラム文明が花開くことになりました。イスラム世界の哲学、天文学、数学、医学などは、当時のヨーロッパの水準を上回っています。この文明のなかで大きな役割を担ったのが、もともと高度な文明を持っていたペルシャ人たちでした。やがてアッバース朝の支配が弱まってくると、ペルシャ人をはじめとして、帝国の周辺で自らの王朝を樹立する動きが出てきます。
中東におけるイスラム世界の発展のキーマンたち
ペルシャ人に続いてイスラム史の発展に大きな役割を担ったのは、トルコ系の人々。中央アジアなどを生活空間としていた人々です。すでに見たようにアラブ人の軍隊が中央アジアに進出してイスラム教を広めました。
イスラム商人やスーフィズム(イスラム神秘主義)の教団などを通じて、トルコ系の人々のイスラム教への改宗が進みました。イスラム商人の多くが、スーフィー教団のメンバーでもあったと考えられます。スーフィズムの発展において、中央アジアは大きな役割を果たしました。その伝統は途絶えておらず、現在のトルコで脈々と流れています。イスラム化したトルコ系の人々は、やがて西方へ移動し始めます。そしてペルシャ人の王朝を倒して、自分たちの王朝を樹立します。そうした王朝の一つがセルジューク朝だったのです。
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