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アラファトが、PLO本部をヨルダンからレバノンへ移す

1973年の第四次戦争の緒戦勝利でエジプトのサダトは国内的な足場を強くしました。外交では親ソから親米へと路線を変更したのです。そしてイスラエルと79年に平和条約を締結します。同国は第三次中東戦争で占領したシナイ半島の返還を約しました。

エジプトからの脅威がなくなると、82年にイスラエルは北のレバノンに侵攻し、同国を拠点にしていたPLOの一掃を狙いました。アメリカの仲介でアラファト以下のPLO戦闘員らはチュ二ジアへ本拠地を移します。パレスチナ人の抵抗は押さえこまれたかに見えました。

ところが87年末に占領地では「インティファーダ」として知られる民衆の大規模な抗議運動が起こりました。武器を使わない投石などでの抗議への対応にイスラエルは苦慮しました。

PLO、和平への背景とは

この時期の中東の焦点はパレスチナではなくペルシャ湾岸でした。イラクの独裁者フセインは、80年イランに侵攻。欧米そしてアラブの産油国はイランを抑え込むためにイラクを支援した。やっと88年にイランとイラクの間で停戦が成立します。そこには国際社会の支援で肥大化した兵力百万以上のイラク軍が残りました。しかもイラクはアラブ産油国に多額の債務を抱えていました。フセインが選んだ解決策は90年のクウェートの占領でした。これが湾岸危機です。91年アメリカはイギリスなどと共に湾岸戦争を始めて、イラク軍を破りました。

PLOのアラファトが模索していた打開策

PLOのアラファト議長の権力を支えていたのはアラブ産油国からの資金援助でした。しかしアラファトが湾岸危機においてイラクを支持したために、産油国からの支援を失います。経済的に追い詰められたPLOのアラファトは何らかの打開策を求めていました。

他方でイスラエルもインティファーダの経験を踏まえ、何らかの和平を模索し始めていました。両者を仲介したのがノルウェーでした。同国での秘密交渉は、93年のオスロ合意となって結実します。相互の承認、ガザと西岸の一部での自治の開始などが合意されました。ついに中東問題の解決の道筋が見えたかのようだったのです。

オスロ合意以降のPLOとアラファト亡き現在

イスラエルとパレスチナの対立で生じた中東の大問題は、両者が1993年に結んだオスロ合意により解決の道筋が示されたかに見えました。パレスチナ難民の帰還の具体策といった難しい問題は先送りされ、時間をかけて問題解決にむけた交渉が行われるはずだったのです。しかし1995年に合意を結んだイスラエルのラビン首相がユダヤ人によって暗殺されると、交渉の雲行きが怪しくなります。

イスラエルが威嚇しPLOは激怒、和平への道は閉ざされる

さらに和平交渉が佳境に入っていた2000年には、後にイスラエルの首相となるシャロンが、エルサレムのイスラム教の聖地に護衛を引き連れながら足を踏み入れます。これはイスラエルの政治家はエルサレムのイスラム教聖地に入らないという暗黙の了解を破る行為であり、エルサレムがイスラエル支配下にあることを知らしめる威嚇行為でした。

激怒したパレスチナ人は武器を手に取ってイスラエル警察と衝突、第二次インティファーダが発生しました。首相となったシャロンは軍事力を用いて暴徒を鎮圧し、多くの死傷者が出てしまいました。

PLOのアラファト議長亡き現在

以降はシャロン首相がイスラエルとパレスチナを分離する壁の建設を始め、和平の機運が遠のいていきました。一方のパレスチナは2004年にPLOのリーダーであるアラファトが死ぬと後任に穏健派のアッバス議長が選ばれましたが人々をまとめきれず、2006年には強硬派組織ハマスが選挙で勝利します。

翌年からガザ地区のハマス、西岸地区のPLOとパレスチナが分裂し、交渉どころではなくなってしまいました。その後ハマスはガザからロケット砲をイスラエルに向けて撃ち、イスラエルは空爆で応酬、衝突を繰り返えすうちにオスロ合意は忘れられたのです。

パレスチナ問題のキーワード(PLO・アラファト)

PLO(パレスチナ解放機構)

当初パレスチナ難民管理のためナセル主導でつくられたパレスチナ人代表機関。第三次中東戦争を経て1969年に議長に就任したアラファトのもとエジプトの影響を脱しパレスチナ解放運動の中核となり、対シオニズム武装闘争を行いました。

74年モロッコで行われたアラブ首脳会議で、パレスチナに関する独立主権を認められました。ヨルダン川西岸地区とガザ地区でのパレスチナ暫定自治政府(評議会)設置、イスラエル軍のガザ地区および西岸の都市エリコからの撤退などを定めたパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)が93年PLOとイスラエルの間で結ばれました。

ヤセル・アラファト(1929〜2004)

パレスチナ解放運動の指導者。50年代にゲリラ戦によるパレスチナ民族解放を目指す軍事・政治組織であるファタハを設立しました。ファタハは第三次中東戦争を経てパレスチナ人の主要勢力として台頭し、アラファトは69年PLO議長に就任、PLOの実権を握ります。

74年10月アラブ首脳会議を経て同年11月初めて国連総会にオブザーバー参加。82年イスラエル軍のレバノン侵攻により拠点をベイルートからチュニジアに移しました。96年パレスチナ自治選挙でパレスチナ自治政府長官。2004年死去、イスラエルによる毒殺と広く信じられています。

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また、ヨーロッパ版では1カ国につき2ページの展開でしたが、今回の中東版では主要な国と地域についてはページを増やして、より詳しく紹介しています。

掲載している国・地域

イラン/イラク/トルコ/シリア/レバノン/イスラエル/パレスチナ(ヨルダン川西岸、ガザ地区)/サウジアラビア/クウェート/バーレーン/カタール/アラブ首長国連邦/オマーン/イエメン/エジプト/スーダン/リビア/チュニジア/アルジェリア/モロッコ/アフガニスタン/カザフスタン/ウズベキスタン/キルギスタン/タジキスタン/トルクメニスタン/アゼルバイジャン/ジョージア/アルメニア

【監修者】高橋和夫 (たかはし・かずお)

福岡県北九州市生まれ、大阪外国語大学外国語学部ペルシア語科卒、コロンビア大学国際関係論修士、クウェート大学客員研究員、放送大学教員などを経て2018年4月より一般社団法人先端技術安全保障研究所会長。主な著書に『アラブとイスラエル』(講談社1992年)、『イスラム国の野望』(幻冬舎、2015年)、『世界の中の日本』(放送大学教育振興会、2015年)、『中東から世界が崩れる』(NHK出版、2016年)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会、2018年)、『国際理解のために(改訂版)』(放送大学教育振興会、2019年)、『中東の政治』(放送大学教育振興会、2020年3月)、『最終決戦トランプVS民主主義―アメリカ大統領選挙撤退後も鍵を握るサンダース』(ワニブックス、2020年7月)など。

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