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スレイマン大帝の時代に、オスマン帝国は絶頂期を迎えた

しかしオスマン帝国はメフメト2世(位1444〜45・51〜81)代には国力を回復、ついに1453年ビザンツ帝国最期の地コンスタンティノープルを征服しイスタンブールと改称、オスマン帝国の新首都としました。セリム1世(位1512〜20)は1517年マムルーク朝を破りエジプトを併合、メッカ・メディナの両聖都を得てオスマン帝国のスルタンはスンナ派イスラム教徒の守護者となりました。続くスレイマン大帝(位1520〜66)代がオスマン帝国の最盛期です。

オスマン帝国はバグダードに遠征し南イラクを得たほかハンガリーを征服、ウィーン包囲(1529)で西欧に衝撃を与え、現ギリシャ西部プレヴェザの海戦(1538)で地中海の制海権を得ます。オスマン帝国はいまや欧州南東部から黒海沿岸、アナトリアからシリアや現イラク、アラビアの紅海沿岸部、エジプトから現アルジェリアまでの広大な版図を誇る大帝国とりました。

オスマン帝国の力の源は、何だったのか

オスマン帝国の回復と隆盛を支えたのは優れた軍事・官僚制度と異民族統治でした。地方の騎士には軍役を課す代わりに徴税権付きの封土を与えティマール制)、中央ではキリスト教徒子弟を徴用しイスラム改宗の上宮廷で教育・訓練し、スルタン直属の常備軍イェニチェリとしました(デヴシルメ制)。子弟らは次第に軍役以外にも進出、優秀な官僚群にもなりました。オスマン帝国社会を構成する異教徒共同体ミッレトには人頭税ジズヤ出納の代わりに信教の自由や法廷の自治、慣習維持を許しました。

なお、同時期にはイランに建ったサファヴィー朝、インドのムガル帝国とイスラム王朝が並び立ち、後に近世イスラム3帝国の鼎立と呼ばれます。

ムスリムたちはイスラム再生を言祝ぎました。しかし栄華を誇るオスマン帝国のスルタンらは、人口増・商業の発達・科学の進展で政治・経済ともに着々と伸張する勢力への注意を怠ったのです。それは欧州の台頭です。

西洋と近代化の来襲により、オスマン帝国の衰退は始まった

西洋は着々と発展していました。社会・宗教の改革を経て16世紀までにさまざまな科学的発見と応用が広がる科学革命を遂げ、商業発展もあり富を蓄積していました。

イスラム3帝国の鼎立(ていりつ)とは従来の陸海東西交通路のムスリムによる独占も意味し、西洋はこれを避けアフリカ大陸南回りでのインドへの航路を開拓、香辛料・陶磁器などの東西通商ルートを得たうえ新大陸にまで至ります。航海技術だけではありません。西洋は大砲・小銃など優れた火器や兵法も発明しました。オスマン帝国は勃興から隆盛期まで欧州の領土を拡大できましたが、次第に軍事でも経済でも西洋に勝てなくなっていました。

オスマン帝国にしのびよる西洋の影

オスマン帝国最盛期にもすでに衰退の兆しはありました。16世紀フランス商人に領内の居住と通商の自由、治外法権まで認め、これはカピチュレーションと呼ばれました。後に英蘭もこの特権を得、後の18世紀には列強による領内の権益拡大に利用されます。16世紀末からは新大陸の銀が流入しインフレに襲われ、その富をもって西洋人が原材料を買い占めて国内産業が衰退、増税などにより17世紀にかけ農民・遊牧民らは反乱を起こしました。

1571年にオスマン帝国は地中海で西洋連合艦隊に敗れ(レパントの海戦)、1683年には第2次ウィーン包囲に失敗して後ハンガリー、トランシルヴァニアなどを失い、オスマン帝国と西洋の力関係は逆転したのです。

18世紀になるとオスマン帝国の各地に徴税請負権を得た有力層が生まれ地方勢力を形づくり、南進するロシアには黒海北岸を奪われます。18世紀末フランス革命が起こると民族自立が促され、ギリシャなど各地で独立運動が発生、英仏露は混乱に乗じ領内の権益を争いました。これらオスマン帝国領内での民族・宗教対立を利用した列強の勢力争いは、西洋側から「東方問題」と呼ばれました。

近代化するもオスマン帝国は混乱し、 大戦の英雄が歴史に終止符を打つ

オスマン帝国は、国土も浸食されていきます。エジプトでは1798年ナポレオンの侵入に端を発する混乱に乗じムハンマド=アリー朝(1805〜1952)が建ち、1830年にはフランスがアルジェリアを占領、9年後にイギリスがアデンを占領しました。

オスマン帝国は西洋化を急ぐ

西洋優位と旧制度の悪弊に対処すべく、オスマン帝国の近代化の試みは本格化します。アブデュルメジト1世(位183〜61)の下1839年にはタンジマート=再編成が宣言され、司法・行財政・軍事・教育など広範囲な西洋化改革が試みられました。しかし性急な西洋化は保守派のイスラム学識者ら=ウラマーなどの既得権益層が抵抗、人々の強い不満を生み不徹底に終わります。

76年にはオスマン帝国初の憲法が発布されますがロシアとの戦争の敗北を理由に施行停止、78年ベルリン条約でボスニア、モンテネグロ、セルビア、ルーマニアなどを失い、改革は成就されることなくバルカン戦争(1912〜13)などの混乱を経て14年第一次世界大戦が始まるとオスマン帝国も参戦、敗北しました。戦中の16年には英仏露がオスマン帝国分割を約し(サイクス=ピコ協定)各地を占領、他民族らも独立運動を展開、講和条約交渉中にギリシャがアナトリアに侵入してギリシャ・トルコ戦争が勃発、亡国の騒乱となります。そこに登場したのが後にトルコ建国の父と呼ばれるケマル・アタチュルクです。

オスマン帝国滅亡は、どのように訪れたのか

大戦で活躍したケマルは、大国民会議でトルコ人の主権と領土を確認します。20年連合国との講和がなり、オスマン帝国政府が西洋の傀儡と化すとケマルはトルコ国民軍を編成し占領軍・オスマン帝国軍と戦い、22年ギリシャ軍を駆逐しトルコ独立戦争に勝利しました。同年スルタン制を廃止、600年余にわたるオスマン帝国は滅亡したのです。

地図で見る、オスマン帝国の領土の縮小

※拡大できます

衰退期のオスマン帝国のキーワード

衰退期のオスマン帝国のキーワード:カルロヴィッツ条約

1683年オスマン帝国が第2次ウィーン包囲に失敗、さらに続く欧州との争いにも敗れ1699年墺露・ポーランド・ヴェネツィアとの間に結んだ講和条約。オスマン帝国は欧州大陸の領土の大部分を失い、欧州勢に対するオスマン優位という力関係はこれを機に逆転します。

衰退期のオスマン帝国のキーワード:ケマル・アタチュルク(ムスタファ・ケマル)

トルコ共和国の建国者、初代大統領(任1923〜38)。1919年に英支援を受けたギリシャ軍がアナトリアのイズミルを占領すると、翌20年ケマルはアンカラ政府を樹立します。同年、領土大幅縮小・カピチュレーションの継続などを定めるセーブル条約をオスマン帝国政府と連合国が交わすと国民は激怒しました。

22年にはケマル創設のトルコ国民軍がイズミルを奪還、同年、ケマルはトルコ大国民会議でスルタン制の廃止を決議します。23年にはセーブル条約を破棄し領土保全・独立承認・カピチュレーション廃止などを定めるローザンヌ条約を連合国と結びました。

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掲載している国・地域

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【監修者】高橋和夫 (たかはし・かずお)

福岡県北九州市生まれ、大阪外国語大学外国語学部ペルシア語科卒、コロンビア大学国際関係論修士、クウェート大学客員研究員、放送大学教員などを経て2018年4月より一般社団法人先端技術安全保障研究所会長。主な著書に『アラブとイスラエル』(講談社1992年)、『イスラム国の野望』(幻冬舎、2015年)、『世界の中の日本』(放送大学教育振興会、2015年)、『中東から世界が崩れる』(NHK出版、2016年)、『現代の国際政治』(放送大学教育振興会、2018年)、『国際理解のために(改訂版)』(放送大学教育振興会、2019年)、『中東の政治』(放送大学教育振興会、2020年3月)、『最終決戦トランプVS民主主義―アメリカ大統領選挙撤退後も鍵を握るサンダース』(ワニブックス、2020年7月)など。

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