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繁栄を極めたオスマン帝国は、西洋の脅威により滅亡へ向かう 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年9月6日

繁栄を極めたオスマン帝国は、西洋の脅威により滅亡へ向かう

危機を乗り越え繁栄を極めたオスマン帝国の強さの理由とは。イスラム再生の時代を過ぎ、しのびよる西洋化の波に衰退していくオスマン帝国がとった対応とは。

オスマン帝国は、こうして始まった

モンゴルによりアナトリアのルーム=セルジューク朝が滅びると、同地には多くの君侯国が並び立ち、フラグ(チンギス・ハーンの孫)がバグダードを焼き尽くしたのと同じ1258年、同地の指導的な一家にひとりの男の子が生まれました。彼は1299年に小さな君侯国を建て、これが後のオスマン帝国へと成長します。

オスマン帝国は、15世紀初頭に危機に陥った

オスマン帝国は14世紀半ばにはバルカン半島に進出、アドリアノープル(現エディルネ)を拠点としました。相次ぐ欧侵攻に抗して結成されたハンガリー・フランス連合軍を、オスマン第4代スルタンのバヤジット1世(位1389〜1402)は1396年ニコポリスで撃破、翌年は東征して諸君侯国を傘下に収めました。しかし性急な君侯国併合策は臣下の離反を招き、その手引きに応じたティムール軍に1402年アンカラの戦いで大敗、オスマン帝国は滅亡の危機に瀕します。

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