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サファヴィー朝、ムガル帝国はオスマン帝国と合わせてイスラム3大帝国~イスラム再生の時代

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年8月28日

サファヴィー朝、ムガル帝国はオスマン帝国と合わせてイスラム3大帝国~イスラム再生の時代

オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国が鼎立していた時代、イスラム世界は2回目の復活へと向かっていました。サファヴィー朝、ムガル帝国について、地図と合わせて見ていきます。

ムガル帝国は、ティムールの子孫が建てたムスリム王朝

モンゴル来襲によって、アッバース朝が滅亡しました。そのカリフはカイロに亡命し、マムルーク朝の保護を受けました。そして同朝はモンゴル軍を撃退し、そもそもはトルコ系の「奴隷(マムルーク)」の樹立した王朝の権威を高めました。また、カイロがイスラム世界の一大中心地となりました。

チンギス・ハンの子孫を自称するティムール(位1370〜1405)がティムール朝の首都としたサマルカンドは、後に世界遺産となって往時の壮麗な建築群を誇り、そのティムールの子孫バーブル(位1526〜30)はインド最大のムスリム王朝となるムガル帝国(1526〜1858)の祖となりました。

同時期に鼎立したイスラム3帝国

時は戻り、モンゴルによりアナトリアのルーム=セルジューク朝が滅びると同地には多くの君侯国が並び立ち、フラグ(チンギス・ハーンの孫)がバグダードを焼き尽くしたのと同じ1258年、同地の指導的な一家にひとりの男の子が生まれました。彼は1299年に小さな君侯国を建て、これが後のオスマン帝国へと成長します。

同時期にはオスマン帝国、イランに建ったサファヴィー朝、インドのムガル帝国とイスラム王朝が並び立ち、後に近世イスラム3帝国の鼎立と呼ばれます。

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