更新日: 2024年8月23日
アラブの春とテロリストの死。移り変わる歴史のプレイヤー
アラブの春はチュニジアを発端とし、2010年末から翌年に始まったアラブ世界における民主化要求デモのこと。歴史を動かすプレイヤーはテロリストではなく、SNSを駆使する若者へ…?アラブの春を経た各国の現状とは。
目次
アラブの春が始まった後に、テロを起こしたビンラーディン
西洋近代化に対する反発から生まれたイスラム回帰運動は、エジプトにおけるムスリム同胞団結成という形で現実に影響を与えました。この組織には穏健派と過激派がいますが、その影響を受けた人物の中にウサマ・ビンラーディンがいました。彼は後年アルカーエダを組織し、アメリカ同時多発テロを起こし、最後はアメリカの軍事作戦で殺害されました。2011年5月のことです。このタイミングは民主化運動「アラブの春」が始まった後でした。
ビンラーディンの目標
ビンラーディンが掲げたものは何だったのでしょうか。欧米と結託するアラブの独裁政権を打ち倒す。対象はパキスタン、サウジアラビア、エジプトなどです。さらに外国勢力をイスラム世界から一掃する。最大の対象はアメリカです。そして最後にシャリア(イスラム法)に基づく政治体制を打ち立てる。しかもイスラム世界全体を包含するような。これがビンラーディンの目標で、手段はテロだったのです。
テロがもたらすもの
ビンラーディンの追従者は、世界各地でテロを実行しました。テロは多くの人々を殺傷し、恐怖を巻き起こしました。しかし同時に、怒りを引き起こしたのです。
アルカーエダのテロは、遠く離れてニュースとして聞くには、悪くない場合もあるかも知れません。宿敵アメリカに対するジハードであるから。しかし身近にテロの痛ましさを見せられると、人々は突然に幻想とロマンから目覚めます。アラブ諸国での世論調査によれば、ビンラーディンの人気は、実際にテロを経験していない国で高い状況です。しかし一度テロを経験すると、人気が下がる傾向にあります。
もっと重要な点はアルカーエダのテロで倒れた体制がないということです。ビンラーディン一族の出身地のイエメンにしろ、ビンラーディンが育ったサウジアラビアにしろ、あるいはアルカーエダのナンバー2とされるザワヒリの出身国のエジプトにしろ、テロで倒れた政権はないのです。
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