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中東戦争はイスラエルとアラブ世界の戦い。第一次・二次・三次中東戦争を考える

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年8月24日

中東戦争はイスラエルとアラブ世界の戦い。第一次・二次・三次中東戦争を考える

中東戦争とは、ユダヤ人国家イスラエルと周辺のアラブの国々との間に起こった戦争のこと。中東戦争は4度にわたって繰り返されています。第一次~第三次中東戦争について解説していきます。

第二次中東戦争で、試合に負け勝負に勝ったエジプトのナセル大統領

第二次世界大戦後、中東・イスラム地域ではアラブ民族主義が高揚、社会主義と世俗化が広がっていました。

47年に国連は、パレスチナをユダヤ人国家とパレスチナ人国家に分割すると決議します。48年にイギリスが撤退するとシオニストらはイスラエル国家樹立を宣言。反対するアラブ諸国との間に第一次中東戦争が起こりました。勝ったのはイスラエルでした。

この第一次中東戦争での敗北は、特にアラブ各国を動揺させます。アラブ世界の統一を謳うバアス党(アラブ復興社会主義党)が各国で影響力を増しました。

第二次中東戦争勃発の経緯

またエジプトではナセルの率いる自由将校団が、1952年にクーデターで権力を掌握し国王を追放しました。この国は1922年にイギリスから名目上は、独立していました。しかしスエズ運河地帯が、イギリスの支配下のままだったのです。エジプトはソ連圏から兵器を導入して、軍の近代化を目指しました。それに対して、アメリカがナイル川にアスワン・ハイ・ダムを建設する資金援助を約しました。農地の拡大、電力による工業化などを、ナセルは期待していたのです。

しかしナセルが中国の北京政権を承認すると、アメリカは援助を中止しました。ナセルは資金を調達するために、56年7月にスエズ運河を国有化します。その通行料収入をダム建設に充てるためでした。これに反発した英仏がイスラエルを誘って、10月にエジプトを攻撃します。第二次中東戦争(スエズ動乱)の勃発です。

第二次中東戦争の結果

英仏が運河地帯を、イスラエルがシナイ半島を占領しましたが、米ソを後ろ盾とした国連の即時停戦決議と国際世論、エジプト国民の抵抗により英仏イスラエル軍の占領は失敗し撤退します。スエズ運河はエジプト主権下に帰しナセルは一躍アラブの英雄となったのです。

58年にはシリアと合邦、アラブ連合共和国となり汎アラブ主義は最盛期を迎えましたが、61年シリアが脱退しました。

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