トップ > カルチャー >  海外 > 中東 >

第四次中東戦争と見えかけた和平~第四次中東戦争とオスロ合意を考える 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年9月6日

第四次中東戦争と見えかけた和平~第四次中東戦争とオスロ合意を考える

背景は、高まるイスラム復興運動でした。英仏、米ソを後ろ盾にイスラエルとアラブの国々の戦争を繰り返していくことになります。

第四次中東戦争、ゆがんだ近代化への反発が進む

第三次中東戦争でイスラエル圧勝後、70年代以降は世俗的近代主義(※1)が凋落し、欧米と近代化を嫌いイスラムの伝統の教えに戻ろうとするイスラム復興運動、なかでもイスラム信仰のためには過激な手段をも厭わないジハード主義者ら(※2)の勢力が増していきます。

※1宗教と政治を分離し、西洋的な科学思考を取り入れ、伝統的なイスラム教を改革する考え方、およびそれによる国と社会の形成。
※2自分たちの信じるイスラム教社会を作るために暴力やテロを辞さない人々。

第四次中東戦争と第一次石油ショック

1973年、第三次中東戦争で奪われた領土の奪還を目指し、ナセル亡き後のエジプトのサダト大統領が、シリアと共にイスラエルを奇襲します。第四次中東戦争が勃発しました。

イスラエルは緒戦で大損害を出しましたが、反撃に出てイスラエル優位の状況で停戦となりました。戦争中、アラブ産油国は親イスラエル諸国への石油輸出の停止などの禁輸措置に訴えました。これを受け石油価格は1バレル3ドル程度から約4倍増となりました。第一次石油ショックです。

不満が高まっていくイラン

これが非アラブの産油国であるイランにも、大きな利益をもたらしました。
イランではパフレヴィー王朝のシャー(国王)が、独裁的な支配を行っていました。そして1960年代から農地解放を含む様々な改革を実施していました。しかしながら、これが大地主である宗教界や伝統的な商工業の担い手であったバザール商人の反発を招いたのです。

また人権、民主主義、報道の自由などを抑圧したままでの「ゆがんだ」近代化に対する不満が、中流階級の間で広がっていました。さらに石油収入の増大は、支配層の腐敗の体質を極大化します。そうした不満が爆発したのが70年代末で、シャーは国外に亡命し、シーア派の宗教指導者であるホメイニ師の、政教一致のイスラム体制が成立したのです。そしてイランは一例であり、例外ではありませんでした。

他にもパキスタンでは世俗的社会主義を奉じるブット首相が77年イスラム主義者である陸軍参謀長のクーデターで倒れ、アフガニスタンでは79年ソ連が侵攻、反ソ・ゲリラ戦が続くなかイスラム復興主義勢力が伸張、各国のジハード主義者らが流入しました。

1 2

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  海外 > 中東 >