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パレスチナ問題とイスラエル建国について~イスラエル建国で難題化したパレスチナ問題

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年9月6日

パレスチナ問題とイスラエル建国について~イスラエル建国で難題化したパレスチナ問題

第一次大戦後に強まる列強支配のなか、パレスチナが大きな懸案事項になっていきます。アラブが激怒した第二次大戦後のユダヤ人イスラエル建国とパレスチナ問題について。まずは、その背景から始めましょう。

パレスチナ問題とイスラエル建国の背景

第一次世界大戦後も、イスラム世界では列強支配とこれに抗する反帝国主義民族運動は続きました。

フランスはマロン派キリスト教徒が多数となるように委任統治領内に国境をひいて、レバノンをシリアから分離しました。イギリスは大戦中アラブ反乱で功績のあったハーシム家の兄弟を、委任統治領のうちイラクとヨルダンの国王としました。

同じくパレスチナもイギリスが委任統治下に置きました。ここでいうパレスチナとは歴史的・地理的な概念です。現在の地図でいえば、国際的に認められた1948年の国境線のイスラエル、そしてエルサレム旧市街を含むヨルダン川西岸地区とガザ地区です。アラビア半島ではサウード家が半島の大半を得て独立、これら地域で現在に連なる国境線がほぼ定まりました。

パレスチナ問題が難題化していく

戦後も反英独立闘争の続いたエジプトでは1922年エジプト王国の独立が認められましたが、イギリスはスエズ運河などの権益を保持し続けたため、完全な独立を求める運動はやみませんでした。その後各国でイスラム復興運動を行う分派を生むムスリム同胞団が結成されたのもこの時期、28年のことです。

そしてパレスチナが大きな難題になっていきます。ユダヤ人のパレスチナ入植は、ユダヤ人にとっては受難を経た約束の地への帰還であり、すでに住んでいたパレスチナ人にとっては新たな植民地主義者の侵入だったのです。

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