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真忠組と他組織との一斉蜂起計画
真忠組は武州慷慨組(ぶしゅうこうがいぐみ)、天朝組(てんちょうぐみ)、水戸天狗党(みとてんぐとう)らと連携し、同年11月12日に赤城山、高崎、横浜、九十九里での一斉蜂起を計画していました。
なかでも急進的だったのが天朝組です。尾高藍香(おだからんこう)・長七郎(ちょうしちろう)兄弟や、のちに実業家として名を成す渋沢栄一らが所属していました。藍香や渋沢は一斉蜂起を強硬に主張しましたが、「八月十八日の政変」を重く見た尾高長七郎の説得により、天朝組は挙兵を中止。急進派の天朝組が抜けたことで、結局のところ、この蜂起は未遂に終わりました。
しかし、のちに真忠組だけは、単独で九十九里浜で挙兵することになります。
真忠組は九十九里浜一帯の下層民で構成されていた
そもそも真忠組は、ほかの攘夷組織とはだいぶ毛色が異なっています。隊を率いるのは元尾張藩士・楠音次郎(くすのきおとじろう)と元旗本家来・三浦帯刀(みうらたてわき)でしたが、およそ200名近い隊士のほとんどは農民出身でした。武士階級出身者は数えるほどしかおらず、農民54名、無宿人16名、身分不詳38名と非武士階層が多く、漁師や職人なども混じっていました。
真忠組は、ほかの攘夷組織のように名家や公卿の後ろ盾を得ることがなく、九十九里浜一帯の下層民によって構成されていたのです。
真忠組は九十九里浜で単独活動を始めた
1864年1月12日(文久3年12月4日)、真忠組は上総国小関新田(こせきしんでん)(現・九十九里町)の大村屋旅館を占拠しました。
さらに真忠組は、下総国八日市場の福善寺(ふくぜんじ)(匝瑳市八日市場)に八日市場支館、上総国茂原の藻原寺 (そうげんじ)(茂原市茂原)に茂原支館を構え、これらを拠点として九十九里浜一帯での活動を開始するのでした。
真忠組関連図(九十九里町)
真忠組は、九十九里沿岸の山辺郡(九十九里町、東金市、大網白里市ほか)、武射郡(山武市、芝山町ほか)、長柄郡(茂原市、一宮町、白子町、長柄町ほか)などで、救貧活動など特異な攘夷運動を起こしました。
現在、本部があった九十九里町小関に真忠組志士鎮魂碑、真忠組浪士屯所跡などがあり、「真忠組潰滅の地」は白子町の指定文化財になっています。
真忠組の攘夷活動は九十九里浜の世直し一揆!?
真忠組は近隣の豪商や豪農に対して、一方的に「借用書」を渡し、金や米、武器を提供させました。金1300両、米120俵、刀剣や槍、鉄砲などを強請し、それらを困窮農民や漁民に分け与えたのです。
つまり、攘夷活動というより、性質的には世直し一揆に近いものでした。施しを受けた農民や漁民は真忠組に加担し、さらに隊士は増えていきました。
真忠組の最後と九十九里浜での攘夷活動の結末
しかし、被害にあった豪商や豪農は、当然ながら江戸勘定奉行や各地の領主に被害届を出します。事態を憂慮した幕府は、1864年2月24日(元治元年1月17日)、佐倉藩、板倉藩、一宮藩ほか6藩の兵を動員し、大村屋旅館、八日市場支館、茂原支館の3カ所に一斉攻撃を仕掛けました。
わずか1日で真忠組は敗退し、楠音次郎は自刃。三浦帯刀ら15名は死罪、遠島5名、追放8名、手鎖(てぐさり)80名と、過半数が討死するか処分されました。三浦帯刀ら獄門に処せられた者たちは、後日、田間村(たまむら)(東金市田間)で斬首、さらし首にされるのでした。
真忠組は九十九里浜の農民から支持された攘夷派組織
真忠組の活動期間は、その潜伏期間を合わせても、ごくわずかの日数に過ぎません。また、活動範囲としても、九十九里浜一帯という限られた地域でした。しかし、農民から支持された希有な攘夷活動として、幕末の千葉県域に多大なるインパクトを残したのでした。
近藤勇は流山で捕まった!?
幕末に京で活動した新選組の局長・近藤勇は、最後は現在の千葉県流山市で捕縛されました。
1868(慶応4)年、鳥羽伏見の戦いを幕府方で戦った新選組は、敗戦後、江戸へと戻ります。幕府から「甲陽鎮撫(こうようちんぶ)」を命じられた近藤は、甲陽鎮撫隊を編成して甲州街道を進みますが、甲州勝沼の戦いで板垣退助率いる倒幕軍に敗北。近藤は江戸を離れ、流山に陣屋を構えました。
近藤は再起を図ろうとしますが、倒幕軍に陣屋を包囲され、やむなく「大久保大和(おおくぼやまと)」の変名を用いて投降し、斬首されました。この陣屋跡には現在、近藤勇陣屋跡(流山市流山2丁目)として石碑が立っています。
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