更新日: 2024年1月14日
印旛沼の堀割普請の挫折~資金と政治に翻弄された工事
印旛沼は江戸時代に何度も堀割工事が行われながら、そのたびに頓挫しました。
この工事は何を目的とし、なぜ失敗に終わってしまったのでしょうか?
印旛沼の堀割工事が必要だった理由:利根川東遷事業の深刻な被害
利根川東遷事業は、江戸に多大な経済効果を生んだいっぽうで、新たに利根川下流域になった地域に対しては、深刻な被害をもたらすようになってしまいました。とくに深刻であったのが印旛沼(いんばぬま)です。
印旛沼は利根川とつなげられたことにより、利根川上流で大雨が降るたびに大量の水が流れ込み、周囲の村々では頻繁に水害が起こるようになったのです。
印旛沼からあふれた水は、平戸川(ひらとがわ)(現在の新川)や神崎川へ流れ、その際には普段とは水流が逆になりました。こうした逆流現象がたびたび起きたことから、八千代市には逆水(さかさみず)という地名が残っているほどです。
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