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伊能忠敬50歳の転機

ここで伊能忠敬にとっての転機が訪れます。50歳になった伊能忠敬は、幼少時より興味を抱いていた暦学を学ぶため、江戸に出て幕府天文方の高橋至時(たかはしよしとき)に弟子入りしたのです。このとき至時は31歳。伊能忠敬は19歳年下の師匠に礼を尽くし、暦学や天体観測を学び始めました。

近年、伊能忠敬を「中高年の星」とセカンドキャリアの面で賞賛する気運があるのは、彼が50歳になってから学問の道に入ったことを評価してのことです。

伊能忠敬が正確な暦のために志した測量と地図作成

師匠の至時は1797(寛政9)年に「寛政暦」を完成させましたが、その完成度に満足していませんでした。正確な暦をつくるには地球の大きさや日本各地の緯度や経度を知る必要があり、そのためには「江戸と蝦夷地(えぞち)(北海道)の緯度差と距離を測ればいい」という結論に至ります。

かくして伊能忠敬は、子午線一度の正確な実測値(緯度)を割り出すため、測量と地図作成を志すようになります。

伊能忠敬が蝦夷地測量を志した当時の北方情勢とは

ちょうどこの頃、蝦夷地にはロシア船が来航するようになっていました。日本の貨物船が襲われる事案が続き、幕府は危機感を募らせていた最中でした。それまで幕府は、蝦夷地の管理を松前藩に委ねていたが直轄地にすることを決定。こうした北方情勢の緊張から、幕府も蝦夷地の正確な地図を求めるようになっていました。

かくして、「地図作成」という名目を掲げつつ、子午線一度の実測値をつかむ野望を秘め、至時は蝦夷地の海岸線の測量を幕府に願い出て、伊能忠敬を推薦するのでした。

伊能忠敬は55歳で測量の旅へ!

しかし、幕府からはすんなりと許可は下りませんでした。商人上がりで実績がなく、さらに高齢の伊能忠敬は、適任であると思われなかったのです。

測量にかかる実費を伊能忠敬が負担するなどを条件に、ようやく幕府から許可が下り、伊能忠敬が江戸の深川黒江町(東京都江東区門前仲町)の自宅を発って測量の旅に出たのは 1800(寛政12)年閏4月のこと。伊能忠敬は55歳になっていました。

伊能忠敬は55歳で測量の旅へ!

千葉県香取市佐倉にある伊能忠敬記念館では実際に使われた貴重な測量器具を見ることができる

伊能忠敬の第1次測量:蝦夷地と東北の測量

この測量は180日以上にもおよび、そこで得られたデータをもとに蝦夷地と東北の地図22 枚が作成され、子午線一度を27里と計算しました。

ちなみに伊能忠敬は、この旅で幕府からの手当てが20両出たとはいえ、道具代や支度代を除いて約80両も負担しています。

伊能忠敬の第2次測量:測量は驚異の正確さだった!

翌年の第2次測量は242日間におよびました。場所は、伊豆以北の関東・東北の東海岸と東北道で、今度は子午線一度を28.2里(約110㎞)と実測。これは現在のメートル法に換算しても、誤差0.2%程度という驚異の正確さでした。

いっぽう、幕府からの手当ては3割増となったものの、伊能忠敬は今回も60両ほどを負担しています。

伊能忠敬の第3次測量:忠敬の地図が評判に!

伊能忠敬の作成した地図はたちまち評判になり、第3次測量での手当ては60両、人足5名に馬5匹などが与えられ、幕府の御用に準ずる扱いを受けるようになりました。

伊能忠敬が測量した距離は地球1周分!日本地図「伊能図」の完成

かくして伊能忠敬は、足かけ17年、71歳までに合計10次におよぶ測量を行いました。伊能忠敬の踏破した距離は約4万㎞に達し、それは地球1周分に相当します。全測量を終えた忠敬は、1818(文政元)年、73年間の生涯を終えました。

忠敬自身、地図の完成を見ることはありませんでしたが、この一大プロジェクトは師・高橋至時の子である景保(かげやす)に引き継がれ、やがて「大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)」(通称・伊能図)が完成しました。

この「伊能図」は「大図」(3万6000分の1)214枚、「中図」(21万6000分の1)8枚、「小図」(43万2000分の1)3枚と、それぞれ異なる縮尺で用意され、このうち「大図」が実測図となっていました。

伊能忠敬が測量した距離は地球1周分!日本地図「伊能図」の完成

伊能忠敬の日本地図が国内外に及ぼした影響

のちに、オランダ医師シーボルトが「伊能図」を国外に持ち出そうとして追放処分となり、シーボルトに地図を渡した景保は捕縛されて獄死しました(シーボルト事件)。

シーボルトは帰国後に著書『日本』のなかに「伊能図」を掲載し、その読者のひとりには、のちに浦賀沖に黒船を率いて来航するペリーがいました。「伊能図」は、多方面に影響を及ぼすのでした。

伊能忠敬記念館

住所
千葉県香取市佐原イ1722-1
交通
JR成田線佐原駅から徒歩10分
料金
大人500円、65歳以上450円、小・中学生250円(15名以上の団体は大人450円、小・中学生200円、障がい者手帳持参で本人と同伴者1名無料)

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【注目1】千葉の地質・地形を徹底分析

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・恐竜時代の岩石がむき出しの見て楽しい銚子のジオ巡り
・火山がない県なのに鴨川に海底火山が流出?
・繰り返される巨大地震の爪痕・南房総に発達する海岸段丘
・鋸山の絶景をつくった「房州石」とはどんな石?

・・・などなど、千葉のダイナミックな自然の成り立ちを解説。

【注目2】古代から中世、江戸時代、近現代の千葉の歴史を一望

・ふたつの大型環状貝塚からなる巨大な加曾利貝塚の謎
・32基もの古墳がつくられた富津の内裏塚古墳群とは?
・鴨川市小湊がゆかりの地、高僧・日蓮の波乱に満ちた生涯
・坂東太郎の流れを変えた徳川家康の利根川東遷
・日本地図を完成させた佐原村の名主・伊能忠敬の素顔
・廃藩置県で26県もあった千葉県域をどうやって統一?

・・・などなど、千葉の歴史のポイントがわかる。

【注目3】千葉を駆け巡る鉄道網をはじめ、千葉で育まれた文化や産業を紹介

・民鉄最高速160キロでスカイライナーが走れる理由
・成田空港線の高架橋は成田新幹線の遺構だった
・登山鉄道も計画された小湊を目指した小湊鉄道
・かつて千葉市の中心駅は京成千葉駅だった!?

・・・などなど、千葉を走る鉄道網の秘密に迫る。

また、銚子港が水揚げ量日本一を誇る理由や明治期最先端の土木技術が光る海の要塞・第二海堡とは?、皐月賞や有馬記念の舞台として知られるJRA中山競馬場の誕生秘話・・・など、千葉県にまつわる文化・産業の面白話もたっぷりと紹介します。

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