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空海はいつ、何をした?奈良時代末期に生まれ、平安時代初期を生きた空海の偉業を知る!

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年7月10日

空海はいつ、何をした?奈良時代末期に生まれ、平安時代初期を生きた空海の偉業を知る!

真言宗の開祖である空海。香川の地方豪族の次男として生まれた幼い空海は、都へ上り大学寮へ入ります。自分の信念を見つけた空海は志を胸に、突き進んでいきました。唐でも日本でも勢力的に活動した空海は、62年間の人生のなかで数々の偉業を成し遂げています。

空海は15歳で、家族と離れ上京した!

空海(幼名・真魚)は774年6月15日、父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母・玉依御前(たまよりごぜん)の次男として讃岐国(現在の香川県)で誕生しました。

真魚(空海)は非常に優秀で、周りの大人たちから神童、貴物(とうともの)(天才)と呼ばれていました。幼少期から漢文を読みこなすなど語学力に長けており、泥で仏像を作るなど信心深い面もありました。一族の失地回復を目指す田公は、まだ幼い真魚(空海)に期待を寄せました。田公は真魚(空海)に中央政府で活躍する人物になるための教育を受けさせるため、妻(真魚の実母)の縁を使い、真魚(空海)を都に向かわせます。上京したのは15歳前後(788年頃)と伝わっており、真魚(空海)本人も一族の厳しい状況は理解していたでしょう。

都へ上った少年の空海

空海の母・玉依御前の兄(祖父という説もある)の阿刀大足(あとのおおたり)は従五位下(じゅごいのげ)を賜った貴族で、桓武(かんむ)天皇の第3皇子である伊予(いよ)親王の侍講(じこう)(家庭教師)を勤めていました。空海は、伊予親王に仕え学問を講義していた伯父からさまざまな学問を教わっています。

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