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千葉氏の名前の由来とは

平良文は大友城(東庄町大友)を拠点としていましたが、その子孫は大椎(おおじ)(千葉市緑区大椎町)へと拠点を移したのち、2派に分裂。 片方は上総氏を名乗り、もういっぽうは千葉庄 (千葉市中央区)へと移って亥鼻(いのはな)付近に居館を構えました。土地に由来して「千葉」氏を名乗り、以来13代約330年にわたって亥鼻は千葉氏の拠点となります。

現在、この地には近世城郭風の模擬天守閣を模した千葉市立郷土博物館が建っています。

千葉氏と源義朝・頼朝との深いつながり

千葉氏は源義朝(みなもとのよしとも)と主従関係を結び、保元(ほうげん)の乱(1156年)と平治(へいじ)の乱(1160年)では義朝の指揮下で戦いました。しかし、義朝が平治の乱で敗死すると、千葉氏も影響力を失ってしまいます。

やがて1180(治承4)年、義朝の子である源頼朝 (よりとも)が伊豆で挙兵。石橋山の戦いで敗北した頼朝は、房総へと落ち延びました。このとき千葉氏も上総氏も頼朝の呼びかけに応じ、平家政権打倒のために戦うことになります。

しかしその最中、上総氏は頼朝への謀反を疑われて失脚。千葉氏は源平合戦や奥州合戦で手柄を立てて所領を拡大すると、上総氏没落後の上総国にまで勢力を広げるのでした。千葉氏は鎌倉に本拠を構えるよう頼朝に進言するなど、鎌倉幕府内でも重要な地位を占めていきます。

 

千葉氏が厚く信仰した妙見神とは

この千葉氏が厚く信仰したのが妙見神(みょうけんしん)です。 妙見神は北極星(北辰(ほくしん))と北斗七星の御神霊で、人の星(運命)やすべての方位・方角を守護する神様のことです。

千葉氏三代・平忠常が中興開山した千葉神社

千葉氏三代・平忠常が中興開山した千葉神社
千葉神社の境内

千葉氏の祖・平良文は、戦のたびに妙見神に戦勝を祈願し、その加護によって勝利を収めたといいます。平忠常(たいらのただつね)(良文の孫)は、妙見神を本尊とする千葉妙見宮の伽藍を整備し、次男(覚算(かくさん))を大僧正(だいそうじょう)に就け、同寺を北斗山金剛授寺として中興開山しました。これが現在の千葉神社となります。

千葉神社

住所
千葉県千葉市中央区院内1丁目16-1
交通
JR千葉駅から徒歩10分
料金
拝観料=無料/祈祷料=5000円~/

千葉氏一族が妙見神を崇拝した理由

また、源頼朝が安房に渡った際、千葉氏が頼朝支持に回ると、これを知った平家方の武将が千葉氏打倒のために千余騎を率いてきました。このとき千葉成胤(なりたね)はわずか7騎で迎え撃つことになりましたが、妙見神の加護によって敵を追い払うことに成功したとの伝説が残ります。

頼朝は千葉氏の案内で北斗山金剛授寺を参詣し、平家打倒を願い、自筆の願文などを奉納しました。

こうした言い伝えがあり、千葉氏は一族を挙げて妙見神を崇拝したのです。やがて千葉氏が房総半島全域に勢力を伸ばすと、房総の各地に妙見社が建立されるようになるのでした。

千葉市内の千葉氏ゆかりの地

千葉市内の千葉氏ゆかりの地

千葉氏は現在の亥鼻公園一帯を本拠としていただけに、千葉氏ゆかりの地は少なくありません。たとえば白幡神社は、源頼朝が千葉常胤へ援軍を求めたとき、境内に源氏の白旗をたてて奉納した地といわれています。

千葉氏の所領を分割した千葉六党とその中心の千葉介の隆盛とその後の分立

頼朝指揮下で活躍した千葉氏は、下総国・上総国の2カ国をはじめ、九州など全国に所領を得て、幕府でも屈指の有力御家人に成長しました。広大な所領は子孫が6つに分割して受け継ぎ、これら千葉六党は総領の千葉介を中心に固い結びつきを示していきます。

しかし、室町時代以降、一族内で分立するようになり、やがて文明年間(1469~1487年)には本拠を本佐倉城(印旛郡および佐倉市)に移すのでした。

千葉氏の所領を分割した千葉六党とその中心の千葉介の隆盛とその後の分立

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