更新日: 2024年6月28日
空海の生涯をたどる~およそ1200年前に生きた空海。偉業を成し遂げたその一生涯について
今では伝説となっている空海の生涯を幼少期からたどっていくと、ひとりの少年の苦悩が見えてきます。空海は常に自分の意志で、学び考え、行動していきました。空海の激動の生涯とは。
目次
空海の生涯~幼少期の空海
空海の生涯。幼少時の空海から始めましょう。空海は幼いころから非常に優秀だったため、親の期待を受けて大学寮に入学します。
空海、讃岐国で生まれる
空海は774年6月15日、讃岐国(さぬきのくに)(現在の香川県)西部を治める地方豪族の息子として誕生しました。幼名は佐伯真魚(さえきのまお)。幼少期から漢文を読みこなすなど非常に優秀で、両親は「この子は、神童だ」と期待を寄せていました。これほど優秀なら中央政府で活躍できると考えた両親は、15歳になった真魚(空海)を都に送り出しました。
都へ上った空海
都には空海の母の兄であり、伊予(いよ)親王(桓武(かんむ)天皇の第三皇子)の家庭教師をしていた阿刀大足(あとのおおたり)という人物がいました。真魚(空海)はこの伯父を頼って上京します。真魚(空海)は伯父に論語や歴史、文章など学問の基礎を教わりました。
18歳になった真魚(空海)は、大学寮に入学します。官僚になるために明経道(めいけいどう)を専攻し、真剣に学問に打ち込みました。大学寮の授業は儒教が中心でしたが、真魚(空海)は儒教に興味が持てず、徐々に大学寮に通うことの意義を見失い「仏教の道に進みたい」と思うようになります。そんな時に真魚(空海)が出合ったのが、虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)(虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)からその力を与えてもらう儀式)です。この教えに感銘を受けた真魚(空海)は、出家する決意を固めるのです。
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