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空海はどんな人?~空海は、唐で学んだ密教を日本に広めた人!

空海は、真言密教の開祖です。密教を学ぶため遣唐使として唐に渡った空海は、密教をたった数カ月で習得、20年いるはずだった滞在をわずか2年で日本へ戻ってきました。
では、空海が広めた密教とはどのようなものでしょうか。

空海の密教とは

南都六宗(なんとろくしゅう)をはじめとする奈良時代の仏教は、「経典(釈迦の教え)を学んだ僧侶だけが、悟りを開いて仏になることができる」という思想でした。一方空海は、これらの既存の仏教を「表面に現われている出来事を真実として理解する教え(顕教(けんぎょう))」と区分しました。自ら持ち帰った密教を「人間の言葉では表現できない、仏の真意を知ることができる教え」としたのです。

密教は「仏も人も本質的には同じであり、人は誰しも生まれながら仏性(ぶっしょう)(仏になれる性質)を備えている」と考えます。自分自身がすでに仏であることに気付き、仏と一体になるための修行を積むことで、現世利益(げんぜりやく)(仏の恵を授かり、生きている世界で幸せになること)が得られるという教えなのです。

空海はどんな人?~空海は香川県出身!地方豪族の次男として生まれた人!

空海は地方豪族の次男として生まれ、幼名は佐伯真魚(さえきのまお)といいます。一族の期待を一身に背負って上京した若者でした。

空海は15歳くらいの時に、伊予親王に仕え学問を教えていた伯父を頼りに京へ上ります。その後18歳で大学寮へ入寮。当時の大学寮は、仏教至上主義から律令主義へと立ち返るため、儒教中心の授業を行っていました。儒教に興味が持てない真魚は、徐々に授業への興味を失っていきます。

そんな空海をひきつけたのが、仏教の教えでした。仏教は政界に広く浸透しており、大学寮では儒教と仏教の兼学を推奨。仏教の重要性を解く学者も少なくなかったため、大学寮でも積極的に仏教の授業が行われていました。経史(けいし)(儒教の経典と歴史)を学んだことにより仏教に強い興味を持った真魚は、大学寮を辞めて出家したいという気持ちを徐々に強めていったのです。

空海はどんな人?~四国遍路は、空海の足跡をたどる巡礼!

「弘法筆を選ばず」「弘法も筆のあやまり」などのことわざを耳にしたことがある人は多いでしょう。空海と弘法大師(こうぼうだいし)は、同一人物です。空海没後以降の11世紀頃、人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着していきました。

平安時代において「天変地異」や「疫病の流行」は人間では説明のできないこととされ、生き霊や怨霊・神々の怒りの仕業と考えられていました。こういった生き霊や怨霊、荒ぶる神々を鎮めるために用いられたのが加持祈祷(かじきとう)です。加持の「加」は仏からの働きかけ、「持」は仏からの働きかけを受け止めて維持するという意味を持ちます。密教は天変地異や疫病から人々を守る仏の力として期待され、生活の安穏に欠かせない信仰として定着しました。

これに加えて高野聖(こうやひじり)(修業のために各地を巡り歩いた真言宗の僧侶)が「弘法大師・空海は、衆生を迷いや苦しみから救うために今も高野山で祈り続けている」という説話を全国に伝え歩きました。密教への信仰心と空海への感謝が徐々に形を変え、弘法大師信仰に変化していったのです。

空海の足跡をたどる四国八十八ケ所巡り

四国八十八ケ所霊場を巡礼することを四国遍路と呼びます。人間には108の煩悩(ぼんのう)がありますが、空海(弘法大師)ゆかりの札所(ふだしょ)を巡礼することで煩悩を取り払い、悟りを開くことができるといわれているのです。

1~88番までの札所を歩いて巡った場合、総移動距離は約1200kmとなります。長く険しい道のりを歩き通すのは、体力的にも精神的にも楽ではありません。自分を見守り寄り添ってくれる「お大師さま(弘法大師・空海)の存在」があるからこそ、困難な道のりを乗り越え悟りを開けるのかもしれません。

『スッと頭に入る空海の教え』6月13日発売!

真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。

1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~

・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う

2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~

・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する

3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~

・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う

4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~

・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物

【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)

広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。

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