更新日: 2024年6月27日
空海はどんな人?~高野山金剛峰寺・真言密教・遣唐使・讃岐国出身・地方豪族・四国遍路…キーワードで学ぶ空海
空海は、どんな人だったのでしょうか。仏教界のカリスマ密教僧・空海は、いかにして伝説に上り詰めたのか。まずは、空海にまつわるキーワードで学んでいきましょう。
目次
空海はどんな人?~空海は、高野山金剛峰寺を創建した人!
空海は、どんな人だったのでしょうか。空海は、都から離れた紀伊(きい)山地に位置する高野山(こうやさん)に真言密教の修禅道場、金剛峰寺を開創した人です。
空海は、真言密教の修行道場を建立するため、高野山の下賜を願い出ました。その願いは嵯峨天皇に快諾され、上奏から1カ月も経たない7月7日に高野山下賜の勅命が出されました。それから空海は高野山開創のため寄付を募ります。空海は高野山を下賜されたあと、先遣隊として弟子の実慧(じちえ)と泰範(たいはん)を高野山に派遣。自身は都に残り、資金繰りに奔走しました。先に高野山に入っていた実慧と泰範から「一軒の草庵(そうあん)した」という連絡を受けた空海は、818年11月に高野山に入りました。それ以降空海は、都と高野山を行き来しながら高野山の全体構造を決め、全山開創の指揮を執りました。
空海は、高野山の下賜されてから数年後、今度は京都の東寺も嵯峨天皇から下賜されています。空海は、国立寺院だった東寺を密教の根本道場として再編しました。なぜ、空海が東寺を下賜された理由はよく分かっていません。僧綱(そうごう)(僧尼(そうに)や諸寺を管理する僧官)でも皇族出身でもない空海に、二つしかない官寺の一つを与えて良いのかという疑問が残っています。
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