更新日: 2024年6月28日
空海の寺は高野山金剛峰寺・東寺だけじゃない。空海が修行した寺・拠点とした寺・開基した寺から四国遍路の寺まで
高野山金剛峰寺・東寺を開創した空海。若かりし空海が修行した寺・唐から帰国後に拠点とした寺・開基した寺、お遍路さんが巡る寺も空海ゆかりの寺です。空海ゆかりの寺は1200年の時を越え、今も現存しています。
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空海の寺といえば高野山金剛峰寺~金剛峰寺は真言密教の修禅道場
空海は816年6月19日、嵯峨(さが)天皇に「高野山に修禅道場を建立したいので、下賜してほしい」という上表文を提出しました。高野山を選んだ理由を「真言密教の修行地は、山深い静かな場所がふさわしい。高野山は幽寂(ゆうじゃく)(奥深く物静か)な場所だ。山岳修行時代に訪れたことがあだるが、非常に良い所だと感じた」と述べています。
空海の願いは、願い出は快諾され、上奏から1カ月も経たない7月7日に高野山下賜の勅命が出されています。その後、空海は高野山開創のため寄付を募りました。
高野山金剛峰寺の完成までの困難
高野山は険しい山の上にあり、資材を運ぶのも容易ではありません。資金面でも困難が多く、建設はなかなか進みませんでした。空海自身もたびたび勧進(かんじん)を行なっていますが、金銭的に潤沢とはいかなかったようです。832年、高野山で万灯万華会(まんとうまんげえ)を修して伽藍(がらん)の完成を祈願していますが、高野山の中核となる壇上伽藍が完成したのは空海入定後、890年代に入ってからです。
現在では高野山金剛峯寺と呼ばれていますが、高野山は山の至るところが境内という「一山境内地(いっさんけいだいち)」という考えに基づき、高野山全体が境内とされてきました。高野山と金剛峯寺は同義であり、高野山全体が金剛峯寺とされています。
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