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空海ゆかりの地~京都

空海が唐から帰国後、入京を許された際に滞在したゆかりの地

唐から帰国後の空海が上京を許されたのは809年のこと。まず空海は、若い頃に得度をしたゆかりの地・和泉国槇尾山寺(いずみのくにまきのおさんじ)(現在の槇尾山施福寺(まきのおさんせふくじ))に滞在し、7月になってから入京して高雄山寺(たかおさんじ)(現在の神護寺(じんごじ))に入っています。入京後約2年間、空海は高雄山寺に滞在しました。

空海が最澄と初めて対面したというゆかりの地

入京後約2年間高雄山寺に滞在していた空海でしたが、811年11月9日に嵯峨(さが)天皇から乙訓寺の別当に任命され、乙訓寺に移り住んでいます。乙訓寺は早良親王(藤原種継(ふじわらのたねつぐ)暗殺事件に巻き込まれて憤死)が幽閉されていた寺であり、空海の別当就任には「密教の祈祷で早良親王の怨霊を鎮める」という思惑もあったといわれています。

812年10月27日、乙訓寺に滞在していた空海のもとに最澄が訪ねてきました。空海と最澄は経典の貸し借りを通じて交流がありましたが、対面したのはこのときが初めてです。乙訓寺は、こじれていくことになる空海と最澄のゆかりの地です。

密教の根本道場として建設した空海ゆかりの地、東寺

823年1月、空海は嵯峨(さが)天皇より東寺を賜り、国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編しました。

空海に東寺を下賜した時、実は東寺はまだ建設中。本堂である金堂は完成していましたが、それ以外の工事は進んでいませんでした。空海は工事を引き継ぐ形で東寺に入り、境内の中央に密教の教えの中心となる講堂を建立したのです。当初は国家鎮護を目的とした国立寺院(官寺)として、796年ごろから造営が始まったとされます。もともと官寺だった東寺が真言宗の寺になった経緯には、空海と嵯峨天皇が関係しています。空海ゆかりの地・東寺は、1200年の時を越え平安京の面影を残す世界遺産となり、世界中の人々が訪れています。

空海ゆかりの地~大阪

空海が得度したゆかりの地

高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)には空海は、「20歳の時、和泉国槇尾山寺(いずみのくにまきのおさんじ)で得度(とくど)。当初は教海(きょうかい)と名乗っていたが、後に如空(にょくう)に改めた」と伝わっています。この当時出家するためには国が定めた寺で授戒(じゅかい)(出家のための儀式)を受ける必要がありましたが、槇尾山寺は国が定めた寺ではありませんでした。このため真魚(空海)は得度したとはいえ、私度僧(しどそう)(官の許可なく僧となった者)という扱いでした。空海は唐から帰国後、入京をする際にも、ゆかりの地・槇尾山寺に立ち寄っています。

空海ゆかりの地~奈良

少年時代の空海が、学問を学んだゆかりの地は平城京?

空海が都へ入ったのは、空海が15歳前後の頃と伝わっています。母の玉依御前(たまよりごぜん)の兄(祖父という説もある)の阿刀大足(あとのおおたり)は従五位下(じゅごいのげ)を賜った貴族で、桓武(かんむ)天皇の第3皇子である伊予親王の侍講(じこう)(家庭教師)を勤めていました。

真央(空海の幼名)が讃岐国(さぬきのくに)から上京してきたころ長岡京は未完成であり、大足が平城京と長岡京のどちらに居を構えていたかは分かりません。明確な足取りは不明ですが、真魚は大足の元に身を寄せ、大足は真魚に、論語・孝経・史伝・文章などを指導しました。今ふうに言うと専属の家庭教師です。大足に3年間学んだ真魚は791年に大学(だいがくりょう)に入学を果たしました。

空海が仏教を学んだゆかりの地

大学寮退学後以降の足取りは不明です。この時期、真魚(空海)が何をしていたかは分かっていません。大学寮を退学してから遣唐使船に乗り込む31歳までは、ほぼ空白期間なのです。正確なところは不明ですが、平城京にほど近い大安寺(だいあんじ)などで仏教を学んだといわれています。空海ゆかりの地・大安寺は、JR奈良駅から車で10分ほど。現在では病気平癒で有名な寺です。

虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行は静かな山林で行うのが良いとされ、修行の場所としては吉野山(よしのやま)の比蘇寺(ひそでら)(現在の世尊寺(せそんじ))が有名でした。出家した真魚(空海)は吉野山や高野山で山林修行をしながら、奈良の寺で仏教について学んでいたようです。

空海が大日経に出合ったゆかりの地・久米寺

悟りたいのに悟れないという苦悩の中にいた若き空海は「こんなに探しているのに、道が見えない」という絶望を抱えながら、各寺を巡って仏典を集め、研究していたようです。さまざまな仏典を読んでも満足ができないという苦悩の中、「久米寺(くめでら)の東塔に、お前が求めている経典がある」という夢のお告げを受け、大日経を発見しました。この経典の内容に感銘を受けた空海は、この時の喜びを「精誠感(せいせいかん)あって、この秘門(ひもん)を得たり(自分の真心が通じ、密教に会うことができた)」と『性霊集』で述べています。空海ゆかりの地・久米寺は、空海の大きなターニングポイントとなった寺です。

空海ゆかりの地~高野山

真言密教の修禅道場として開創した空海ゆかりの地・高野山

空海ゆかりの地といえば、一番有名なのが高野山です。空海は816年6月19日、嵯峨(さが)天皇に「高野山に修禅道場を建立したいので、下賜してほしい」という上表文を提出し快諾されました。

高野山は和歌山県北東部に位置する山地で、標高は約900m。山頂付近には八つの峰に囲まれた平坦な土地(盆地)が広がっており、この盆地全体を高野山と呼びます。空海が境内と定めた面積はおよそ3000haと推測されており、これほどの広さの山林を切り開いて寺院を建立するには莫大な人手と金銭が必要でした。高野山は険しい山の上にあり、資材を運ぶのも容易ではありません。資金面でも困難が多く、建設はなかなか進みませんでした。空海は資金集めに奔走しましたが、高野山の中核となる壇上伽藍が完成したのは空海入定後、890年代に入ってからです。

空海ゆかりの地~福岡、長崎

唐への出航地・福岡は、遣唐使であった空海ゆかりの地

空海は遣唐使として唐へ旅経つ前後、鴻臚館(こうろかん)(現在の福岡市中央区付近)に滞在しています。帰国した際もしばらく入京が許されなかったため、空海は筑紫国(福岡)に留まることになりました。その期間、空海は筑紫国を拠点に布教活動を行っています。

帰国直後の806年には、真言密教が東方に長く伝わるようにと祈願して東長寺(とうちょうじ)(福岡県福岡市)を建立。空海が創建した寺としては最古とされており、五重塔には空海が持ち帰ったといわれる仏舎利(ぶっしゃり)(釈迦(しゃか)の遺骨)が納められています。東長寺のほかにも唐から帰国したばかりの空海は精力的に活動し、福岡には空海ゆかりの地がたくさんあります。

宗像大社(むなかたたいしゃ)の近くにある洞窟で修行をした際には「この地は国家鎮護を祈る霊場である」というお告げを受け、鎮国寺(ちんこくじ)(福岡県宗像市)を開創しました。帰国後に滝行をしたと伝わる若杉山明王院(わかすぎさんみょうおういん)や、若杉山で修行をした際に庵(いおり)を結んだ地に建つという太祖山金剛頂院(たいそさんこんごうちょういん)(いずれも福岡県篠栗町(ささぐりまち))など、さまざまな足跡を残しています。807年2月には大宰少弐(だざいのしょうに)(大宰府の次官)の母親の法要を密教様式で行うなど、密教の教えを着実に広めていったようです。

全国各地に点在する空海ゆかりの地

太宰府滞在期間は記録が少ないのですが、九州、山陽、四国などを巡礼して密教を広めていたという説があります。例えば大聖院(だいしょういん)(広島県廿日市市(はつかいちし))は806年、善通寺(ぜんつうじ)(香川県善通寺市)、最御崎寺(ほつみさきじ)・津照寺(しんしょうじ)・金剛頂寺(こんごうちょうじ)(いずれも高知県室戸市(むろとし))は807年空海開基と伝わる寺で、「空海の修行地」や「空海開基」、「空海ゆかりの地」は全国各地に点在しています。

遣唐使船の寄港地・五島列島も空海ゆかりの地

長崎県の五島列島は、遣唐使船最後の寄港地です。空海は性霊集に「本涯ヲ辞ス(日本の最果てを去る)」と記し、渡海の決意を示しています。福江島は三井楽半島の先端、柏崎公園にある辞本涯(じほんがい)の碑は、空海の偉業を讃えて建立された顕彰碑です。空海も唐に渡る前に、この場所に立ったと伝えられているゆかりの地です。

空海ゆかりの地~中国

空海が留学僧(るがくそう)として渡ったゆかりの地

遣唐使だった空海にとって、中国も想い出深いゆかりの地です。大日経の教えを学びたいと、31歳で第16次遣唐使節団に参加した空海。空海の乗った船は東シナ海で遭難し、海上を34日間漂流しますが、なんとか福州長渓県赤岸鎮(ふくしゅうちょうけいけんせきがんちん)へ漂着しました。空海は、海路と陸路で長安を目指し、804年12月の末に長安(ちょうあん)に到着しました。

長安の西明寺(さいみょうじ)を寄宿先とした空海は、まず梵語(ぼんご)を習得しました。その後青龍寺(せいりゅうじ)を訪ね、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から密教を学びました。わずか3カ月で密教の全てを習得した空海は、恵果阿闍梨の「密教を日本に広めなさい」という教えに従って806年10月に帰国しました。

帰国の際に長安を発った空海は、途中で越州(現在の浙江省(せっこうしょう))に立ち寄り、節度使(せつどし)(土地の長官)の協力を得てさまざまな資料を収集しています。仏教教典はもちろん、文学や美術、医学など収集分野は多岐にわたり、建築学についてもここで学んだのではないかといわれています。また浙江省杭州市西湖区(こうしゅうしせいこく)の霊隠寺(れいいんじ)には空海が滞在して学んだという言い伝えもあり、越州には5カ月近く滞在したといわれています。

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真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。

1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~

・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う

2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~

・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する

3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~

・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う

4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~

・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物

【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)

広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。

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