更新日: 2024年7月9日
空海ゆかりの地~四国、京都、奈良に福岡。仏教界のカリスマ・空海ゆかりの地は、海を渡って中国にも!
空海のゆかりの地は、どこにあるのでしょう。遣唐使として海を渡った空海は、1200年前の人物とは思えないほどの行動範囲。西日本の各地から中国まで、空海ゆかりの地はたくさん残っています。
目次
空海ゆかりの地~四国
空海が生まれたゆかりの地は、香川
774年6月15日、空海(幼名・真魚)は父・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母・玉依御前(たまよりごぜん)の次男として讃岐国(現在の香川県)で誕生しました。出生場所は現在の善通寺(ぜんつうじ)(香川県善通寺市)付近とも、海岸寺(かいがんじ)(香川県多度津町)付近とも伝わりますが、明確な場所は分かっていません。
空海のゆかりの地と言われる善通寺は、四国八十八ケ所霊場の75番札所。現在の西院が建っている辺りに、空海の生家である佐伯家の邸宅があったと伝わっています。京都府の東寺、和歌山県の高野山とならぶ「弘法大師三大霊跡」の一つに数えられており、近隣には空海ゆかりの史跡がいくつも残されています。
空海が修行したゆかりの地、四国の山々
空海は若かりし頃、出家していない在家の仏教信者として山岳修行に入り、近畿地方の吉野山(よしのやま)や高野山(こうやさん)のほか、郷里である四国の大瀧嶽(だいりゅうがたけ)(徳島県)、室戸岬(むろとみさき)(高知県)、石鎚山(いしづちさん)(愛媛県)などで山岳修行を重ねました。
空海ゆかりの地・石鎚山(いしづちさん)は、四国山地西部(愛媛県西条市と久万高原町の境界)に位置する標高1982mの山で、西日本最高峰です。古くから山岳信仰の霊場として知られており、霊峰石鎚山とも呼ばれています。空海は「石鎚山によじ登ったが、食べるものがなく動けなくなった」と語っています。
空海が悟りを開いたゆかりの地は、室戸岬
真魚が「空海」と名乗るようになったのは22歳の時とされています。経緯は不明ですが高知県の室戸岬(むろとみさき)には「洞窟で修行をしている時、口に明星(金星)が飛び込んできた。この時自分の意識が宇宙に溶けていくのを感じ、悟りを開いた。洞窟から出ると、空と海だけが広がっていた。この光景から自らの名前を空海と改め、仏教の道を進むことを決意した」という伝説が残っています。空海ゆかりの地・室戸岬の御厨人窟(みくろど)は、観光地となっていて訪れることができます。
空海が最先端の技術で造ったゆかりの地は、満濃池
空海は唐に滞在中、密教以外にもさまざまな技術を習得しています。その象徴ともいえるのが、日本最大級の農業用ため池・満濃池(香川県まんのう町)の修築です。現地入りした空海を地元は熱烈に歓迎しました。彼を慕って集まった人々によって、問題のひとつだった人手不足は解消されました。空海は土木の専門家ではないのですが、最先端の技術を次々と採用していきました。空海ゆかりの地・満濃池のほとりには、神野寺(かんのじ)があります。神野寺は、工事の成功を祈願した護摩壇があった場所に、空海が建立した寺です。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!