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空海が中国でしたこととは?~空海の中国留学は31歳から2年間。20年計画だったはずだが、満足する留学成果とともに帰国した

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年6月17日

空海が中国でしたこととは?~空海の中国留学は31歳から2年間。20年計画だったはずだが、満足する留学成果とともに帰国した

空海が中国に滞在していたのは2年ほどの期間です。空海が中国で最初にしたことは密教の習得に必要な梵語を学びながら、各寺院の僧侶と交流を深めて人脈をつくることでした。空海のその人脈が、中国での大きな出会いを生んだのです。

空海が中国でしたこと~長安の西明寺で先輩留学僧から学ぶ

長安で空海が寄宿先とした西明寺(さいみょうじ)(現在の中国陝西省西安市(せいせんしょうせいあんし)は、656年に創建された仏教寺院です。インドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)をモデルに建立したと伝わる巨大な寺で、数多くの留学僧がここに滞在しています。

この当時、西明寺では大安寺(だいあんじ)の永忠(ようちゅう)が学んでいました。永忠は渤海(ぼっかい)経由で長安に入った留学僧で当時62歳。空海は永忠の僧坊(そうぼう)(部屋)を譲り受ける形で西明寺に入っており、大安寺で得度した空海にとって永忠は兄弟子的な存在です。永忠は中国の長安(ちょうあん)に到着したばかりで求法(ぐほう)の手がかりがない空海に、さまざまな情報を与えたと考えられます。親子ほど歳の違う2人は帰国後も親交を続けており、空海が永忠を慕っていたことが見受けられます。

密教受法のために梵語を学習する

密教では梵語(ぼんご)(サンスクリット語)を原語のまま唱となえます。また梵字は、1文字1文字が密教の真理を表すとされています。密教を正しく理解するためには、梵語の習得が必要不可欠でした。空海もまずは梵語習得を目指したようで、醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵(はんにゃさんぞう)から梵語を学んでいます。醴泉寺や般若三蔵を紹介したのは、永忠だったかもしれません。

般若三蔵はカシミール出身で、梵語と梵字に詳しい僧侶でした。2人の師弟関係について詳しい史料は残されていませんが、梵語に加えて『大乗本生心地観経(だいじょうほんじょうしんじかんぎょう)』やインド哲学の講義も受けていたようです。また空海は般若三蔵から『華厳経(けごんきょう)』40巻、『大乗理趣六波羅蜜経(だいじょうりしゅろっぱらみったきょう)』10巻、梵語の原典など多くの貴重な経典を譲り受けています。

醴泉寺で般若三蔵と共に学び認められたことが、空海の中国でのその後に大きな出会いを生みました。般若三蔵が後に空海の師匠となる恵果阿闍梨に、「密教の習得を希望している留学僧がいる」と空海を推薦した可能性があるのです。空海は、中国で密教の習得に必要な梵語を学びながら、中国各地の寺院の僧侶と交流を深めて人脈をつくっていきました。

如来や菩薩、明王を表す梵語(サンスクリット語)の一例

左から、如来、菩薩、明王を表しています。
※拡大できます

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