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空海ゆかりの札所をまわる四国八十八ケ所巡りとは

四国八十八ケ所霊場を巡礼することを四国遍路と呼びます。人間には108の煩悩(ぼんのう) がありますが、空海(弘法大師)ゆかりの札所(ふだしょ)を巡礼することで煩悩を取り払い、悟りを開くことができるといわれているのです。霊場とはご利益があるといわれる土地や寺のこと。徳島県にある1番札所(霊場の総称)からスタートし、高知県、愛媛県、香川県と右回りに巡ることを「順打(じゅんう)ち」88番札所から香川県、愛媛県、高知県、徳島県と左回りに巡ることを「逆打(ぎ ゃくう)ち」県ごとに巡ることを「一国参(いっこくまい)り」と呼びます。

四国八十八ケ所霊場を巡る四国遍路、各県の札所

各県の札所は人の心の成長に応じて、四つの道場に区分されます。1~23番の徳島県の札所は、物事を思い立ち修行を始めることを意味する「発心(ほっしん)の道場」。比較的歩きやすい道が多く、初心者向きともいわれています。

24~39番の高知県の札所は、自らと向き合って苦闘する「修行の道場」。札所間の距離が長く、体力的にも精神的にも厳しい道のりです。愛媛県の40~65番札所は厳しい修行を超えて迷いや煩悩から解き放たれる「菩提(ぼだい)の道場」。66~88番札所のある香川県は、結願成就(けちがんじょうじゅ)し悟りの境地に達する「涅槃(ねはん)の道場」と位置付けられています。

四国遍路中はいつも「お大師さま(空海)」と一緒

四国遍路の中で重要なのが、「同行二人(どうぎょうににん)」の言葉です。同行は信仰を同じくする者のことで弘法大師(空海)を指し、二人は弘法大師(空海)と自分のこと。「遍路中は常にお大師さま(空海)がかたわらに寄り添い、同行してくださる」という意味を表しています。遍路がかぶる菅笠(すげがさ)には弥勒菩薩(みろくぼさつ)と弘法大師(空海)を表す梵字(ぼんじ)一文字(発音はユ)が書かれています。弘法大師(空海)とともに巡礼していることを表しており、梵字が正面に来るように菅笠をかぶるのが正式です。遍路をする者の正装とされる白衣の背中(びゃくえ)にも「同行二人」「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と書かれており、常に空海(弘法大師)と二人で遍路をしているという意味が込められています。

四国遍路の総距離は約1200km

1~88番までの札所を歩いて巡った場合、総移動距離は約1200kmとなります。長く険しい道のりを歩き通すのは、体力的にも精神的にも楽ではありません。自分を見守り寄り添ってくれる「お大師さま(弘法大師・空海)の存在」があるからこそ、困難な道のりを乗り越え悟りを開けるのかもしれません。

札所には番号がついているため「順番に参詣した方が良いのでは?」と考える人も多いのですが、仏教的に決められた順路はありません。近年では88の霊場を何度かに分けて巡る「区切り打ち」を選ぶ巡礼者が増えており、巡礼の目的も多様化しています。

四国遍路のお遍路さんの持ち物

納札(おさめふだ)
自分の名前や願いごとなどを記入し、参拝の証として奉納する

数珠
煩悩の数である108個の球が連なった真言宗用の数珠

経本(きょうほん)
般若心経や各札所本尊の真言などが書かれた小冊子

線香
香りで仏をもてなし、徳をいただく。ろうそくと共に供える

ろうそく
迷いの世界を照らす仏の知恵を表す。読経前にお供えする

白衣(びゃくえ)
背中に「南無大師遍照金剛」「同行二人」と書かれている

金剛杖(こんごうづえ)
弘法大師(空海)の化身。お大師さま(空海)と共に歩くという意味を持つ

輪袈裟(わげさ)
袈裟を簡略化したもの。食事やトイレの時は外す

菅笠
弘法大師(空海)を意味する梵字、同行二人の文字などが書かれている

納経帳
参拝の証として御朱印をいただくための帳面

空海ゆかりの札所をまわる四国八十八か所巡りを地図で見てみよう

※拡大できます

参拝の順序

山門で一礼し、手水舎(ちょうずや)で手と口を清めて輪袈裟(わげさ)を首にかけ本堂へ向かう

本堂の納札箱(のうさつばこ)へ納札(おさめふだ)を1枚納め、ろうそくと線香を供える

合唱礼拝し、経本(きょうほん)を持って読経する

大師堂の納札箱へ納札を1枚納め、本堂と同様に参拝する

納経所で揮毫(きごう)と御朱印(ごしゅいん)、御影(おすがた)(各札所の本尊の分身)をいただく

四国遍路の装束

四国遍路の際は、歩きやすい靴と体温調節がしやすく動きやすい服が推奨されます。ドレスコードはないため服装は自由ですが、遍路の正装である白衣(びゃくえ)、弘法大師と共にあることを示す菅笠、弘法大師の化身である金剛杖(こんごうづえ)を身につけるのが一般的です。

四国霊場を模した「地四国」は、空海とどんな関係?

江戸時代中期になると、一般庶民にも四国遍路が流行します。多くの庶民が現世利益や先祖供養のため、四国を巡礼するようになったのです。ただ四国遍路は参詣場所が多く移動距離も長いため、「誰もが目指せる場所」ではありませんでした。同時期に流行した「こんぴら参り」や「伊勢参り」は全国から参詣客が集まりましたが、四国遍路の巡礼者は西日本、特に四国(徳島県、香川県、愛媛県)、中国(岡山県、広島県)・近畿(和歌山県、大阪府、兵庫県)地方出身者が大半。四国遍路は全てを巡るのに40~50日かかるので、東日本から参詣するのは難しかったのでしょう。

人々の信仰心が生んだ [地四国」と「お砂踏み」

四国遍路はしたいが、四国は遠すぎる…という人々の信仰心から生まれたのが、「地四国」です。自分たちの地元に四国八十八ケ所霊場を模した霊場を設定し地元の霊場を巡礼することで、空海の出身地である四国遍路をしたのと同じ功徳を授けられるという仕組みです。

例えば1755年頃に開創された「御府内(ごふない)八十八ヶ所」は、四国八十八ケ所霊場の距離を10分の1にして江戸の町に当てはめたもの。御府内(品川(しながわ)、四谷(よつや)、板橋(いたばし)、千住(せんじゅ)、本所(ほんじょ)、深川(ふかがわ)の内側の地域)で完結しており、江戸庶民も巡礼しやくすなっています。
地四国は東京と瀬戸内周辺に多い傾向があります。特に愛媛県には、島内で巡礼が完結する「島四国(しましこく)」が集中。「小さな島を一つ巡るだけで、功徳が得られる」と人気を博したようです。

地四国をより簡略化し誰でも巡礼できるようにしたものが、「お砂踏(すなふ)み」です。各霊場の本尊の御影(おすがた)をまつり、八十八ケ所霊場から持ち帰った砂を配置して、砂を踏みながら礼拝することで四国遍路と同じ功徳をいただけるとされています。

全国各地にある「地四国」

「小豆島八十八ヶ所」「知多四国八十八ヶ所」「篠栗四国八十八カ所」は日本三大新四国霊場ともいわれ、現在も多くの巡礼者が参拝に訪れています。開創された順に見てみましょう。

1686年
小豆島(しょうどしま)八十八ヶ所

空海自ら開いたと伝わり「元四国(もとしこく)」とも呼ばれる

1691年
伊那諏訪(いなすわ)八十八霊場

長野県南信地方に広がる古い霊場

1745年
佐渡(さど)八十八ヶ所霊場

島外に出るのが難しかったことから、霊場を開く

1755年頃
御府内(ごふない)八十八ヶ所

総距離約70kmで、札所はほぼ東京23区内にある

1809年
知多(ちた)四国八十八ヶ所

全行程194km。知多半島を一周する順路をとる

1827年
御室(おむろ)八十八ヶ所霊場

仁和寺(にんなじ)の裏・成就山(じょうじゅさん)の山道約3kmの霊場

1855年
篠栗(ささぐり)四国八十八カ所

帰国後の空海が修行した地を含む約50kmの巡礼路

1918年
広島新四国八十八ヶ所霊場

原爆投下で巡拝不可能になるが1973年に復興

1925年
津軽(つがる)八十八ヶ所霊場

かつては津軽観音八十八ヶ所霊場と呼ばれていた

2006年
北海道八十八ヶ所霊場

霊場は北海道全土に点在。巡拝期間は5月1日~10月31日

『スッと頭に入る空海の教え』好評発売中

真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。

1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~

・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う

2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~

・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する

3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~

・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う

4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~

・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物

【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)

広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。

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