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富田林寺内町は織田信長に恭順して戦火を免れた

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年1月13日

富田林寺内町は織田信長に恭順して戦火を免れた

10年も続いた石山合戦では、本願寺傘下の寺内町の多くが信長に敵対しました。
ですが、その中には戦いに参加せず存続し続けた町もあったのです。

本願寺の勢力を拡大した蓮如

室町時代後期、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の本願寺(ほんがんじ)8世・蓮如(れんにょ)は、宗祖である親鸞(しんらん)の教えをわかりやすく民衆に広めました。

平等と団結を訴える蓮如の言葉は多くの民衆に受け入れられ、これによって本願寺の勢力は拡大しました。親鸞の「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ 」(阿弥陀仏一仏だけに向け)という教えから、浄土真宗は「一向宗」とも呼ばれるようになりました。

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