更新日: 2024年1月13日
楠木正成の居城・千早赤坂城!幕府軍が落とせなかった鉄壁の城の秘密
楠木正成と幕府軍の決戦場となった千早城と2つの赤坂城。
わずか1000の手勢で何万もの敵を撃退できた秘密は、守りやすく攻めにくい城の地形に隠されていました。
目次
楠木正成の居城・千早城と赤坂城
鎌倉時代末期の名将として名高い楠木正成(くすのきまさしげ)の居城として築かれたのが、赤坂城(あかさかじょう)と千早城(ちはやじょう)です。いずれも千早赤阪村(ちはやあかさかむら)の金剛山(こんごうざん)近辺につくられた山城です。
このうち赤坂城は2つあり、上赤坂(かみあかさか)にあった城が「上赤坂城」、森屋(もりや)の城は「下赤坂城」と呼ばれています。楠木正成は上赤坂城を本城として使い、下赤坂城はその盾となる支城となっていました。
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