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空海が弘法大師の諡号を賜った経緯
空海が弘法大師になるきっかけを作ったのは、寛平(かんぴょう)法皇です。寛平法皇(宇多(うだ)天皇の出家後の称)は真言宗に厚く帰依しており、仏道に専念するために譲位したのではという見方もある人物です。在位中である888年には勅願寺(ちょくがんじ)(時の天皇の発願で創建された寺)として仁和寺(にんなじ)を創建し、譲位後は仁和寺で出家しています。初代別当は天台宗の僧侶でしたが、自分が出家した際に別当を真言宗の僧侶に交代させています。
空海が真言密教の根本(こんぽん)道場と位置づけた東寺で伝法灌頂(でんぼうかんじょう)(阿闍梨の位を授ける儀式)を受けて自ら阿闍梨となるなど、空海への強い思いが伺えます。918年、息子である醍醐(だいご)天皇に「空海に諡号を与えたい」と願い出ており、同時期に東寺長者(ちょうじゃ)(東寺の長官)の観賢(かんげんぞうじょう)僧正も醍醐天皇に同様の上表をしたのですが、その時は許可が下りませんでした。
空海入定86年後に、弘法大師を賜る
空海に「弘法大師」の諡号が与えられたのは空海の入定(にゅうじょう)から86年後、921年10月27日のことです。高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)には、諡号授与にまつわる逸話が残されています。
ー921年10月21日の夜、空海が醍醐天皇の夢枕に立ち、「衣が破れているので、新しい衣を賜りたい」と願った。そこで醍醐天皇は空海に、桧皮色(ひわだいろ)の衣と弘法大師の諡号を贈ったー
自ら天皇の夢枕に立つとは行動力のある空海らしいと思えなくもありません。918年に一度却下された願い出が、921年になって許可された理由は分かりません。ただ醍醐天皇は、弘法大師の諡号授与理由に「寛平法皇が空海を追憶しているため」と述べています。経緯は不明ですが寛平法皇の意図が反映されたことに間違いはないでしょう。
大師号を贈られた僧侶
弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰に
921年10月27日、空海は弘法大師という諡号(しごう)と桧皮色(ひわだいろ)の衣を賜りました。その衣を空海に捧げたのが、東寺長者(ちょうじゃ)の観賢(かんげん)でした。「東寺から高野山に登った観賢が衣を捧げて廟所(びょうしょ)(空海の居室)の扉を開けたところ、空海の姿は見えなかった。観賢は自分の不徳を恥じて一心に祈ったところ、霧が晴れるように空海が姿を現したので衣を取り替えた」という話が残されています。
極楽往生を目指す貴族と高野山参り
平安時代中期の朝廷では、極楽往生を目指す浄土教(じょうどきょう)が広まっていました。観賢のこの不思議な体験は「空海は高野山で、衆生救済のために祈り続けている」という伝承となり、高野山が霊場化したのです。
貴族たちの中に「弘法大師・空海が祈りを捧げている霊場・高野山に参詣すれば極楽往生できるはずだ」という考えが広まり、高野山信仰・弘法大師信仰が深まりました。
加持祈祷への期待と弘法大師(空海)信仰
平安時代において「天変地異」や「疫病の流行」は人間では説明のできないこととされ、生き霊や怨霊・神々の怒りの仕業と考えられました。こういった生き霊や怨霊、荒ぶる神々を鎮めるために用いられたのが加持祈祷(かじきとう)です。加持の「加」は仏からの働きかけ、「持」は仏からの働きかけを受け止めて維持するという意味を持っています。密教は天変地異や疫病から人々を守る仏の力として期待され、生活の安穏に欠かせない信仰として定着しました。
修行僧が全国へ広めた弘法大師信仰
これに加えて高野聖(こうやひじり)(修業のために各地を巡り歩いた真言宗の僧侶)が、「弘法大師・空海は、衆生を迷いや苦しみから救うために今も高野山で祈り続けている」という説話を全国に伝え歩きました。密教への信仰心と空海への感謝が徐々に形を変え、弘法大師信仰に変化していったのです。
密教浸透と弘法大師(空海)信仰の広まり
弘法大師信仰はいつごろから広まったのでしょうか?空海(弘法大師)が高野山で衆生の幸せを祈り続けているという「弘法大師入定信仰」は11世紀初頭から広まり始め、高野聖や修験者の口伝により全国に浸透していきました。空海が入定した頃、空海が弘法大師となった頃、人々の心情にはこのような変化がありました。
空海が唐から密教を持ち帰り、日本へ広めた頃
【貴族】
・悪いことは生き霊や怨霊の仕業
・難産や死産は出産を快く思わない生き霊のせい
・出産の際には安産を願う加持祈祷を行う
・密教が朝廷内に浸透
【民衆】
・天変地異や疫病は人には防げない
・人智の及ばない恐ろしい出来事から救ってほしい
・疫病や天変地異から護ってもらうために加持祈祷を行う
・生活に安穏をもたらすものとして密教が浸透
835年3月21日空海が入定した後
【貴族】
・極楽往生を目指す浄土教が流行する
・極楽浄土に行きたいが、どうすればいい?
【民衆】
・天変地異や疫病はこの世からなくならない
・この苦しみや悩みから逃れるためには、どうすればいい?
921年10月27日 弘法大師の諡号が贈られた頃(観賢が空海と対面した頃)
【貴族】
・空海は高野山で生き続けている
・高野山に参拝すれば、極楽往生できるはず!
【民衆】
・空海は高野山で衆生の幸福と世の安定を祈り続けている
・庶民のために祈ってくれる空海はすごい人!
このように貴族も民衆もそれぞれの立場での弘法大師への信頼感や感謝から、弘法大師信仰が生まれ定着していきました。
『スッと頭に入る空海の教え』6月13日発売!
真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。
1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~
・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う
2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~
・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する
3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~
・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う
4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~
・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物
【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)
広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。
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