更新日: 2024年1月13日
百舌鳥・古市古墳群と王陵の谷~巨大古墳が密集する謎~
仁徳天皇陵古墳を筆頭に、日本最大級の前方後円墳は、なぜ両古墳群につくられたのでしょうか。
その謎に迫るとともに、代表的な古墳についても解説しましょう。
目次
百舌鳥・古市古墳群とは
全国に数ある古墳群の中で、2019年に世界遺産に登録されたのが、百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群です。
堺市北西部の百舌鳥台地を中心とする百舌鳥古墳群には44基、藤井寺市(ふじいでらし)、羽曳野市(はびきのし)にわたる羽曳野丘陵を中心に広がる古市古墳群には45基が現存。登録されたのは両古墳群を合わせて49基ですが、もともとは200以上の古墳が存在したといいます。
両古墳群の大きな特徴は、日本最大クラスの前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)が密集していることです。古墳が造営されたのは4世紀後半から5世紀後半ごろで、ヤマト王権が国内から国外へ意識を強く持ちはじめた時代です。
百舌鳥・古市古墳群が造営されたワケ
百舌古墳群は「難波津(なにわつ)」と呼ばれた大阪湾に面しており、古市古墳群にも河内潟(かわちがた)という内海が広がっていました。つまり、海外から船が到着する際、まず巨大な墳丘を目の当たりにすることになり、権威を海外に示す絶好の場だったのです。
ちなみに5世紀に中国へ朝貢した「倭(わ)の五王」と推測される天皇のうち、安康天皇(あんこうてんのう)以外はすべて百舌鳥・古市古墳群に陵墓があります。
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