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空海が満濃池の築池別当に任命される

そこで白羽の矢が立ったのが、讃岐国(さぬきのくに)の地方豪族出身者・空海です。その頃、高野山整備のため都と高野山を行き来していた空海のもとに、満濃池改修工事の指揮を執れという命が下りました。

この当時、空海は天皇のそばに仕える内供奉十禅師(ないぐぶじゅうぜんじ)になっており、民衆からも「密教の力で衆生を救ってくれるお坊様」として信仰されていました。

工事関係者は、空海の人望と密教の修法に期待したのでしょう。821年4月に、「空海を築池使として派遣してほしい」と願い出ています。朝廷側も修築工事の遅れが気になっていたようで、5月27日に空海を築池別当に任命し、現地に送っています。

空海は唐で学んだ知識を満濃池に還元する

現地入りした空海を地元は熱烈に歓迎しました。彼を慕って集まった人々によって、満濃池の人手不足は解消されました。空海は土木の専門家ではないのですが、最先端の技術を次々と採用していきました。「水圧を考慮したアーチ型堤防」や「洪水時にあふれた水を流す水路(余水吐(よすいば)き)」など、唐で学んだと思われる土木技術が満濃池で地元復興のために活用されたのです。

また空海は満濃池の堤防が見える高台に護摩壇(ごまだん)を作り、工事の成功を祈願したと伝わっています。その高台は現在も満濃池に残っており、「護摩壇岩」と呼ばれています。満濃池の修築は7月末に完了。空海はこの功績によって賜った報奨金を使い、満濃池の北西岸のほとりに神野寺(かんのじ)を建立しています。

空海の工事は、わずか2カ月で完了!

※拡大できます

満濃池の工事の規模を考えると着工から竣工まで2カ月というのは短すぎるので、前任の路真人浜継がある程度工事を進めており、後任の空海が引き継いだと見るのが妥当でしょう。ただ工事の成功は、空海の知識と人望があったからこそ

平安時代末期に成立した『今昔物語』には、「弘法大師(空海)が、讃岐国の人を救うために築いた池。非常に大きく堤防も高いので、まるで海のように見える」と記されています。空海への感謝は広く浸透していたようです。満濃池は今も日本最大級の農業用ため池で、香川県内1位のため池です。

空海は、教育・建築分野でも活躍

「仏教だけ」「儒教だけ」ではなく、社会づくりに役立つさまざまな学問を学ぶべきだと考えていた空海は、828年に綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)を開校します。儒教・道教・仏教に加え、科学や天文学、医学や語学を学ぶことができる総合学院で、志があれば庶民でも入学可能でした。学費は無料で、食事も提供されたといわれています。残念ながら空海の死後に廃校となってしまいましたが、日本初の「庶民も学べる教育機関」として歴史に名を残しています。

『スッと頭に入る空海の教え』6月13日発売!

真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。

1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~

・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う

2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~

・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する

3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~

・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う

4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~

・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物

【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)

広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。

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