フリーワード検索

ジャンルから探す

トップ > カルチャー > 

書家として日本書道文化の基礎を築いた空海と橘逸勢の関係が、嵯峨天皇との書と漢詩を通じた交友につながっていく

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年6月17日

この記事をシェアしよう!

書家として日本書道文化の基礎を築いた空海と橘逸勢の関係が、嵯峨天皇との書と漢詩を通じた交友につながっていく

日本に密教を広めた空海は書にも秀でており、三筆の一人に数えられています。空海は書だけではなく文章や漢詩の作成も得意で、書や漢詩を通じて唐風文化を好んだ嵯峨天皇と親しく交流していました。

空海の書家としてのエピソード

空海は日本書道文化の基礎を築いた人物です。嵯峨(さが)天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に三筆の一人に数えられています。三筆の一人としての空海の技量が伺える、留学僧時代のエピソードを紹介しましょう。

唐の皇帝にも認められた空海の書

長安の宮中の壁面に書かれている王羲之(おうぎし)(書聖と呼ばれる東晋(とうしん)時代の能書家)の書は、長い歳月により一部が消えてしまっていました。しかし修復する者がいません。「空海という留学僧は書の達人らしい」という噂を聞いた皇帝は空海を宮中に呼び寄せて修復を命じました。 空海は両手両足に筆を持ち、口にも筆をくわえると、5本の筆で5種類の書体を書き分け、即座に修復しました。 皇帝は非常に驚き、空海に「五筆和尚(ごひつわじょう)」の称号を与えました…。

数多く残る空海伝説の一つです。 皇帝の前でアクロバティックなパフォーマンスを披露したかどうかは分かりませんが、空海の書が長安でも高く評価されていたことを表す逸話といえるでしょう。

空海の書に対する信念

空海は書を「心情を発露し、季節や万物の形に沿って書くもの」と表現しています。『性霊集(しょうりょうしゅう)』では「字形がまとまれば良いというわけではない」「書の根源は心を敬うことにある」と説き、文字の美しさより表現力が重要だと述べています。

1 2

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー > 

この記事に関連するタグ