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南都六宗を遠ざけた桓武天皇は、密教を持ち帰った最澄に期待する
最澄は13歳で近江国分寺(おうみこくぶんじ)に入門し、19歳のときに東大寺で出家します。出家後は東大寺に残らず比叡山(ひえいざん)に入り、天台宗(てんだいしゅう)を学んでいます。桓武天皇は天台宗を好み、最澄が比叡山で開いた天台宗の法会(ほうえ)を賞賛します。最澄が桓武天皇から容認されたことで、主流宗派でなかった天台宗が朝廷内で受け入れられていったのです。
最澄が密教布教の基盤を作る
天台宗の教えを深めたいと考えた最澄は、804年9月に入唐し、天台山で天台教学と禅を学習しました。越州(えっしゅう)の寺院で密教の伝法を受けて、805年7月に帰国しました。南都六宗を遠ざけたい桓武天皇は、最澄が持ち帰った密教に期待します。806年には天台宗に2名(法華経(ほけきょう)1名、密教1名)の年分度者(ねんぶんどしゃ)が与えられ、密教布教の基盤が作られました。
南都六宗と最澄の敵対関係
桓武天皇は806年に、天台宗を国家宗教の一つとして正式に認めました。最澄は「天台宗の教えは、南都六宗と異なる」と主張し、比叡山(ひえいざん)に天台宗独自の戒壇院(かいだんいん)を設立することを要望しました。新興勢力である天台宗が力をつけることを嫌った南都六宗は、最澄を激しく批判します。両者は長年にわたって対立し、繰り返し論争が発生しました。
南都六宗と空海のつながり
一方、空海は南都六宗と友好な関係を構築していました。空海は大安寺(だいあんじ)で学んだともいわれており、奈良とは縁が深いのです。僧侶たちの上奏文(じょうそうぶん)を代筆するなど、個人的にも親しくしていたようです。
真言宗では「真言密教は究極の教えであり、華厳経(けごんきょう)や法華経(ほけきょう)より大日経(だいにちきょう)や金剛頂経(こんごうちょうぎょう)の方が優れている」としていますが、空海は南都六宗と折り合いをつける形で真言宗を開祖しました。最終的には東大寺(とうだいじ)の一角に、真言宗専門の戒壇院を設立することを許されています。
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真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。
1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~
・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う
2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~
・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する
3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~
・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う
4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~
・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物
【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)
広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。
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