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イスラエルのガザ侵攻! パレスチナ紛争に終わりはあるのか? 画像:123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年6月13日

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イスラエルのガザ侵攻! パレスチナ紛争に終わりはあるのか?

イスラエルによる強権的支配にイスラム組織ハマスがついに暴発!
パレスチナ紛争に終わりはあるのでしょうか?

イスラエルのガザ侵攻とハマスによる突然の襲撃

2023年10月7日、パレスチナ自治区のガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエルに対する大規模な襲撃を行い、イスラエル軍との間で深刻な軍事衝突に発展しました。

イスラエル軍はハマスを殲滅(せんめつ)するべく、ガザ地区に侵攻。その攻撃で街は瓦礫(がれき)の山と化し、一般住民も多数犠牲になりました。イスラエル軍の侵攻作戦は2024年6月現在も続いており、収束の見通しは立っていません。

この惨劇の背景には、開戦から70年以上が経ち、「世界で最も解決が難しい紛争」といわれるパレスチナ紛争があります。パレスチナの地をめぐる紛争は中東における地政学リスクのひとつで、今回、衝突のニュースが伝えられると、石油価格が数パーセント上昇しました。

パレスチナ紛争の歴史

パレスチナ紛争は、2世紀にユダヤ人がローマ軍に敗れて世界に離散したことにはじまります。長きにわたり世界各地でバラバラに暮らしていたユダヤ人は19世紀以降、パレスチナを「約束の地」とみなして移住を進め、オスマン帝国の支配下で同地に暮らすアラブ系のパレスチナ人と対立するようになりました。

第一次世界大戦時、イギリスは敵対するオスマン帝国を打倒するため、ユダヤ人とアラブ人の双方に国家建設を約束し、戦争への協力を要請。その一方、同じ連合国側のフランスとの間では、オスマン帝国解体後の分割統治をとり決めました。これを一般に「三枚舌外交」といいます。

第二次大戦後の1948年、ユダヤ人がイスラエルの建国を宣言すると、反発したパレスチナ人やアラブ諸国がイスラエルを攻撃し、中東戦争が勃発しました。

中東戦争は1973年まで4回にわたり繰り広げられましたが、多くの局面でアメリカの支援を受けたイスラエルが勝利し、領土を拡大していきました。その結果、多くのパレスチナ人が難民化。彼らが住んでいた土地はユダヤ人に占領され、パレスチナの領土はヨルダン川西岸地区とガザ地区に限定されてしまったのです。

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※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

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