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空海の愛弟子、智泉と実慧

血縁の弟子として知られているのが、真雅(しんが)と智泉(ちせん)です。真雅は空海の弟、智泉は空海の甥(姉の子)にあたり、どちらも肉親。中でも智泉は空海が帰国し太宰府(だざいふ)滞在中に弟子になったと伝わっており、後継者と目されていました。しかし空海に先立ち、825年に病没してしまいます。空海を嘆き悲しませています。

空海の後継者となった弟子・実慧

地縁の弟子として活躍したのが実慧(じちえ)です。実慧は空海と同じ讃岐国出身で、20歳で弟子入りしています。智泉とは歳も近く弟子入りも同時期なので、親しくしていたのかもしれません。智泉亡き後は空海の後継者となり、高野山の開創に尽力します。830年には、空海から東寺の運営を引き継いでいます。

空海の愛弟子には、元皇太子もいた

血縁・地縁を大事にしたというと「身内びいき」にも聞こえますが、空海の弟子にはさまざまな出自の僧侶がいます。弟子たちの中で最も身分が高いのが元皇太子の真如(しんにょ)です。平城(へいぜい)天皇の第三皇子として生まれ、嵯峨(さが)天皇の皇太子になりますが、薬子(くすこ)の変の影響で廃されて出家。空海の弟子となりました。

空海の愛弟子は、最澄の元弟子?

また泰範(たいはん)は、最澄の愛弟子で「最澄の後継者」と目されていた人物です。空海と最澄が決別したのちも、空海のもとに留まっています。最澄は泰範に戻っててほしかったようで、たびたび「比叡山(ひえいざん)に戻ってこないか」と連絡しています。816年5月1日には「法華一乗(ほっけいちじょう)と真言一乗(しんごんいちじょう)と、何ぞ優劣有らん(天台宗と真言宗には優劣はなく、何ら相違はない)」「もし深き縁あらば、倶ともに生死に住して、同じく群生(ぐんしょう)を負わん(もし縁があるなら、あなたと一緒に多くの人々を救いたい)」と懇願のような手紙を出しています。

返事をしたのは、弟子でなく空海

しかしそれに返信したのは、泰範ではなく空海でした。空海は「天台宗と真言宗は別物である」「真言宗の教えに帰依した泰範を責めないでほしい」と代筆しています。最澄からすれば、泰範からの絶縁状と思えたのでしょう。泰範はその後も比叡山に戻らず、空海を支え続けました。空海が高野山を下賜(かし)された際には先遣隊として山に入り、高野山整備に尽力しています。

空海の十大弟子

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空海が直接密教の教えを伝授した弟子(直弟子)を、十大弟子と呼びます。

『スッと頭に入る空海の教え』6月13日発売!

真言宗の開祖であり今も「お大師さま」として多くの人から信仰を集める空海。天才であるが故に数多くの挫折や苦悩を経験しながら、当時まだ新興勢力にすぎなかった密教をいかにしてこの世に広めたのか、そこには現代にも通じる社会を生き抜くための知恵が隠されています。本書は、謎の多い空海の生涯と思想をひも解きながら現代社会を生き抜くための行動の指針や考え方のヒントを紹介していくものです。

1.空海の行動から見る教え~空海の処世術~

・四国の地方豪族出身の真魚(空海)が貴族の子弟が通う大学に入学
・官吏を目指し勉学に励むも儒教に興味が持てず大学を退学、出家
・西日本の霊場で山岳修行に励み悟りを開いて「空海」になる
・苦悩の末、大日経と出会う
・朝廷が派遣する遣唐使使節団の一員として唐へ向かう
・30日以上の漂流の末、福州に漂着。約2400㎞の道のりを経て長安へ。
・密教習得に必要な梵語を学び、中国密教の中心的人物である恵果阿闍梨から密教の全てを伝授され後継者と認められる
・「日本で密教を広めよ」という恵果の遺言を果たすため日本へ早期帰国
・朝廷との約束を破って帰国したため上京の許可が下りず筑紫に滞在
・最澄の執り成しもあり809年に入京が叶う

2.空海の考え方から見る教え ~空海の交渉術~

・南都六宗と距離を置きたい桓武天皇と最澄の活動により、密教布教の基盤が固まる
・「書」という共通点を持つ橘逸勢との交流が嵯峨天皇と結びつく
・薬子の変で乱れた国家を平穏にするため鎮護国家の修法を行ない嵯峨天皇から信任を得る
・早良親王の怨霊を鎮めるために乙訓寺の別当となり高雄山寺で最澄に持明灌頂を授ける
・自分の都合で密教の教えを求める最澄を許せず経典の貸与を拒否。2人の関係が途絶える
・都から離れた紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場として開創する
・唐で学んだ最先端の技術を駆使して故郷に貢献。築池別当として満濃池の修築工事を完遂する
・嵯峨天皇より東寺を賜り国立寺院だった東寺を密教の根本道場に再編する
・さまざまな学問を学べる庶民のための学校、綜藝種智院を設立する
・密教の基盤強化のために病を押して活動し弟子たちに具体的な指示を残して入定する

3.空海が完成させた密教とは ~密教の教え~

・鎮護国家思想の学問から現世利益の仏教へ。これまでの仏教と空海が持ち帰った密教の違い
・密教の最終目標はその身のまま仏になること。正しく三蜜加持を行なえば即身成仏できる
・両手を合わせて印を結び仏と一体化して真実の言葉である真言を唱え仏の加護を得る
・密教を経典や注釈書だけで理解するのは困難なため大宇宙の本質を仏の配置で表現した曼荼羅で把握する
・仏の区分は如来・菩薩・明王・天の4種類。それぞれの仏の違いと特徴を知る
・護摩行は密教の修法の一つ。大日如来の智慧の火で煩悩を焼き払う

4.弘法大師の教えを感じる場所 ~弘法大師信仰~

・最澄に遅れること55年、空海がとうとう弘法大師になる
・人智の及ばない出来事から人々を守る密教の教えと弘法大師・空海への感謝が、弘法大師信仰として定着
・修行のための巡礼路だった「四国辺路」が一般庶民の間に広がり「四国遍路」として定着する
・空海の足跡をたどりながら自分を見つめ直す。全長約1400㎞の四国八十八ケ所巡り
・四国遍路をしたいが四国まで行けない人のために全国各地で四国霊場を模した「地四国」が開かれる
・水にまつわる伝説が多い?全国各地に点在する弘法水伝説と開湯伝説
・「うどん県・香川」の産みの親は空海だった?空海が唐から持ち帰ったと伝わる食べ物

【監修者】吉田 正裕(よしだ しょうゆう)

広島県廿日市市出身、真言宗御室派大本山大聖院第77代座主。2008~2018年総本山仁和寺本山布教師。2018~2022年総本山仁和寺執行長、真言宗御室派宗務総長。宗教事業にかかわらず、宮島、広島の地域活動、文化活動などを幅広く行なっている。

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