更新日: 2024年6月3日
空海の高野山開創~都から離れた高野山を真言密教の修禅道場とするため、奔走した空海
空海が高野山を開いたのは、およそ1200年前。嵯峨天皇に高野山下賜を願い出たのは、空海が43歳の時です。
空海が都から遠い紀伊山地に位置する高野山を真言密教の修禅道場と決めたのには、理由がありました。高野山開創のため、空海は資金繰りに奔走します。それは今の時代で言うなら、クラウドファンディングに似ているやり方だったようです。
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空海は修行道場を建立するため 高野山の下賜を願い出る
空海は816年6月19日、嵯峨天皇に「高野山に修禅道場を建立したいので、下賜(かし)してほしい」という上表文を提出しました。
高野山を選んだ理由を「真言密教の修行地は、山深い静かな場所がふさわしい。高野山は幽寂(ゆうじゃく)(奥深く物静か)な場所だ。山岳修行時代に訪れたことがあるが、非常に良い所だと感じた」と述べています。また高野山には「唐から帰国する際、明州(めいしゅう)の浜に立ち寄った空海が『密教修行の寺院建立に適した場所にたどり着け』と三鈷(さんこ)を投げた。その三鈷は、高野山の松の木にひっかかっていた」という逸話が残っています。
まもなく空海へ高野山が下賜の許可が下りる
おそらく空海は20代のころから修禅道場の建立構想を持っており、場所探しなど計画を練っていたのでしょう。嵯峨天皇がこの計画を知っていたかどうかは不明ですが、願い出は快諾され、上奏から1カ月も経たない7月7日に高野山下賜の勅命が出されています。
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