更新日: 2024年8月26日
フランス「サンドニ」ってどんなところ?~マリー・アントワネットが眠るサンドニ大聖堂のある街
2024年開催のパリ五輪の閉会式が行われたフランススタジアムがあるサンドニ地区は、サンドニ大聖堂が有名なエリア。マリー・アントワネットがルイ16世とともに眠る、サンドニ大聖堂をご紹介しましょう。
サンドニのシンボル「サンド二大聖堂」の伝説
サンドニ地区は、パリ五輪の舞台が多く集まるパリ中心部から、メトロでおよそ30分程の距離。閉会式のあるフランススタジアムから徒歩20分でいけるのが、サンドニ地区の名所、サンドニ・バジリカ大聖堂です。
パリのメトロ13号線に乗ってサンドニの大聖堂に向かう時には、行き先に注意したほうがよさそうです。なぜなら、路線が途中でY字に分岐するから。選ぶのはサンドニ・ウニベルシテ(大学)方面行き。終点の1駅手前がバジリク・ド・サンドニ、目指す大聖堂の最寄り駅です。
サンドニ・バジリカ大聖堂の「バジリカ」とは
サンドニ・バジリカ大聖堂は、もとは王立大修道院。12世紀に王の顧問シュジェール修道院長が設計、13世紀完成しています。「バジリカ」はカトリックの教会の名誉ある称号です。フランス王家の墓所であるサンドニのバジリカが最上位のカテドラル(大聖堂)に格上げされたのは意外にも最近、1966年のこと。フランク王国メロヴィング朝のころからバジリカと呼ばれていたというから、千数百年もの間バジリカだったことになります。
聖人は斬られた首を抱えて歩く?
最寄り駅から歩いて3分ほど、大聖堂が建つのはパリの守護聖人、聖ドニ(サンドニ)の墓の上とされています。この聖ドニについてわかっていることは多くはありません。3世紀ごろ、ガリア一帯を支配していたローマ帝国は200年もの平和の後にゲルマン侵入などで混乱、3世紀後半はキリスト教大迫害時代でした。
教皇の命でパリ初の司教となっていたドニは、このころローマ当局により斬首されています。死亡した年代は250年頃とも70年頃とも80年頃ともいわれ定まっていません。伝説によるとドニはモンマルトルで斬られた自分の首をもって10kmも歩き力尽きて倒れ、その地で埋葬されたといいます。そして、そこに修道院と教会が建てられたのだと。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!