更新日: 2024年8月26日
今やパリの象徴「エッフェル塔」は建築当初が無用にして醜悪な塔と大批判された~エッフェル塔の歴史
パリのシンボル・エッフェル塔。1889年開催のパリ万博のモニュメントとして建設されましたが、建設計画当初は芸術家を中心に猛反対があったといいます。
当時高さ世界一のエッフェル塔の歴史を辿っていきましょう。
目次
「エッフェル塔」建設は、当初、芸術家たちに猛反発を受けた
パリ7区のシャン・ド・マルス公園に立つパリのシンボル、エッフェル塔。そもそもこの塔は、フランス革命100周年を記念する第4回パリ万博のモニュメントとして建てられたものです。そのため、東京タワーのような「電波塔」としての目的があったわけではなく、とにかく「高い塔」であることが狙いでした。実際にエッフェル塔は、マンハッタンのクライスラービルに抜かれる1930年まで、「高さ世界一」の座を41年間守り続けています。
計画当初は、石造りの塔の案も出されましたが、物理的・経済的に困難とされ、万博開催の期日も迫っている状況でした。そこで、最終的に採用されたのが、設計技師ギュスターヴ・エッフェルが提案した鉄の塔。鉄は当時の「新素材」であり、石造りにくらべて工期を短縮でき、コストも抑えられるメリットがありました。
早速、猛反発を受けたエッフェル塔
ところが、すぐに反発が起きます。石造りの街に鉄の塔がそびえ立つのは、著しくパリの景観を損なう、と考える人たちが声を上げたのです。なかでも、多くの芸術家たちが、パリ市に反対請願書を提出する、新聞に抗議文や風刺画を掲載するといった形で猛反発しました。新時代のイメージを築こうと計画された鉄のモニュメントは、「無用にして醜悪な塔」と罵られることになりました。
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