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アメリカ南北戦争~南北戦争とリコンストラクション。深い傷を負った南部州 123RF

まっぷるトラベルガイド編集部

更新日: 2024年7月3日

アメリカ南北戦争~南北戦争とリコンストラクション。深い傷を負った南部州

アメリカ独立戦争は、リンカーンが大統領になった翌年から始まります。4年間続いた戦いは激しいものでした。前後、南部諸州のためのリコンストラクション(再建方策)はどのように機能していったのでしょうか。

まずは、アメリカ南北戦争前のアメリカの状況を把握しましょう。自由の国アメリカは、こうやって作られていったのです。

アメリカ南北戦争は、黒人奴隷制廃止が発火点

アメリカはイギリスから独立後、北部で工業化が進展し、南部で黒人奴隷を労働力に綿花栽培を主としたプランテーションが発展しました。すると南北の間で産業のあり方や奴隷制をめぐる主張に溝が生じ、対立が深まっていったのです。

西部開拓によって領土が拡大し新しい州ができると、奴隷制を認める「奴隷州」 となるか、 奴隷制を認めない 「自由州」となるかが連邦議会で問題になりました。1819年当時、アメリカには22の州があり、奴隷州と自由州の数は11と均衡していたのです。

しかし奴隷制を掲げるミズーリが州に昇格することが決まると、議会での対立が激化します。妥協点として1820年にミズーリ協定が成立し、自由州を1つ増やした上で(メイン州)、北緯36度30分以北に新たな奴隷州は作らないことが決められました。

逃亡奴隷法と『アンクル・トムの小屋』出版

しかし、ゴールドラッシュによって人口が増えたカリフォルニアが自由州になることに危機感を持った南部は逃亡奴隷法を制定し、黒人奴隷解放の動きを取り締まろうとしました。

その頃発表されたのが、黒人奴隷の悲惨な状況を描いた小説『アンクル・トムの小屋』で、北部自由州の奴隷制反対派を勢いづかせました。南部を基盤として生まれた民主党は、1854年にカンザス・ネブラスカ法を成立させミズーリ協定を廃棄に追い込みます。これに反発したのが、北部を基盤に生まれた共和党です。

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