更新日: 2024年2月2日
藤原頼通~半世紀も摂関の座を占めた男から始まる藤原氏の終焉
藤原頼通は、平安時代を謳歌した藤原道長の子。若くして摂政となった藤原頼通ですが、そのおよそ50年後、外戚の地位を失うと、藤原氏の地位は急速に低下していきます。宇多天皇以来170年ぶりの、藤原氏を外戚としない天皇が誕生したのです。
藤原頼通は26歳で摂政となる
寛仁(かんにん)元年(1017)、藤原頼通(ふじわらのよりみち)は26歳の若さで、父の道長(みちなが)から摂政(せっしょう)を譲られます。以後、藤原頼通は、後一条(ごいちじょう)、後朱雀(ごすざく)、後冷泉(ごれいぜい)と3代の天皇の約50年にわたり摂政・関白を務めました。
この間、都は大きな政争もなく平穏で、藤原文化は隆盛を迎えます。宮中の年中行事が整備されたのもこの時代のことでした。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!