トップ > カルチャー >  海外 > アジア > 中国 >

【東アジアの世界史】日本の朝鮮出兵(16世紀末)財政悪化を招き明は滅亡へ

日本の朝鮮出兵のポイント

ポイントその1.日本は明の冊封下にあり、明との貿易(日明貿易)で利益を得ていた
ポイントその2.貿易が中止されたことが朝鮮出兵の一因になる
ポイントその3.明は日本軍の侵攻を食い止めたが、戦費が財政悪化を招いてしまう

日本の朝鮮出兵:日本軍対明・朝鮮連合軍

明は周辺諸国と冊封関係を結び、朝貢貿易で国力を高めていました。日本も冊封下に入り、室町幕府が明との貿易(日明(にちみん)貿易)で利益を得ていましたが、明は倭寇(わこう)と呼ばれる海賊集団の略奪行為に悩み、日本との貿易を禁じます。

そうしたなか、戦国時代の日本で天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、貿易の復活などを求め、明の影響下にある朝鮮半島に2度も攻め込んでいったのです(朝鮮出兵)

日本軍が十数万の兵力で半島に進攻してくると、明も援軍を送って抵抗します。戦局は一進一退を繰り返しましたが、秀吉が亡くなったことで7年におよぶ戦いは幕を閉じます。

地図の見方:日明交渉が決裂すると、日本軍の朝鮮進攻が再開される。豊臣秀吉の急死もあり、明はどうにか日本軍を撤退させたが、その戦費が後々重くのしかかった

日本の朝鮮出兵:重税が明国内反乱を生む

しかし、この戦いは明の財政悪化を招きます。もともと当時の明は北方ではモンゴル人の侵入、南方では倭寇の略奪行為にあい(北虜南倭(ほくりょなんわ))、その対策に多額の出費を強いられていたのです。それに朝鮮出兵でかかった戦費が追い打ちをかけ、財政は火の車になります。

結局、民衆への重税が反乱につながり、明は1644年に滅びました。

日本の朝鮮出兵:その時日本は!?

豊臣秀吉の天下統一

戦国時代終盤、天下統一目前の織田信長は、家臣の明智光秀による謀反にあい、本能寺で落命。その光秀を討った豊臣秀吉が天下統一を成し遂げました。

【東アジアの世界史】清王朝の君臨(17世紀)中国史上最大の版図を実現!

清の平和

ポイントその1.清朝は漢族ではなく満州族の王朝
ポイントその2.征服戦争を繰り返し、史上最大の中華帝国を築き上げる
ポイントその3.対漢族と対藩部、いずれも硬軟を巧みに使い分けて支配

清王朝の君臨:アメとムチを使い分けて支配

漢族の明王朝を引き継いだのは満州(まんしゅう)族清(しん)朝でした。満州族のヌルハチが中国東北部の統一を進め、後金(こうきん)を建国。2代ホンタイジは国号を清に改め、明が滅びると、3代順治帝(じゅんちてい)が北京に入り、中国全土を支配します。

その後、4代康熙帝(こうきてい)、5代雍正帝(ようせいてい)、6代乾隆帝(けんりゅうてい)の時代に積極的な征服戦争を展開し、モンゴル、チベット、ウイグルに版図を拡大藩部(はんぶ))。清の領土は現在の中国に近くなりました。

そして漢族に対しては服従の証として満州族の辮髪(べんぱつ)を強要する一方、漢字の公用化、朱子学(しゅしがく)の官学化、減税などでガス抜きをはかります。

また異民族が暮らす藩部を理藩院(りはんいん)の管理下に置き、現地の有力者に自治を与え、宗教文化も認めました。

清はこうしたアメとムチの政策で巨大な領土を統治したのです

地図の見方:満州族の清王朝は、康熙・雍正・乾隆の3帝盛世期に積極的に征服戦争を行ない、領土を拡張。多様な民族に対して硬軟合わせた政策を併用し、統治を進めた。この時代に確定した領土が、現在の中国に受け継がれている

『地図でスッと頭に入る世界史』好評発売中!

[本書の特長]
◎紹介する歴史項目全てに、イラストや写真を使ったわかりやすい地図を入れ、全体像が一目瞭然!
◎3つの要点で事件の概要が把握でき、歴史上の位置づけがしっかりわかる
◎歴史の一ページを形成した地理的背景、時間の経過がより一層理解できる解説
◎同時期の日本では何が起きていたか比較できるワンポイントコラム

『地図でスッと頭に入る世界史』見どころ―目次から抜粋

■紀元前221年、秦がバラバラの貨幣を統一したことで、歴史上はじめて〝ひとつの中国〞が実現した
■紀元前202年、中国を再統一した漢がシルクロードを開いた結果、東西交易が盛んになった
■208年、魏の曹操・蜀の劉備・呉の孫権の三者が死闘を繰り広げる『三国志』の時代が到来する
■618年、隋を引き継いだ唐が巧みな統治で周辺諸国を服従させ、国際色豊かな大帝国に発展
■1405年、周辺国の朝貢を求める明がヨーロッパより100年早く南海への大航海を展開する
■紀元前5世紀、アテネとスパルタの二大ポリスが戦争を繰り広げ、ギリシア世界は大きく変化
■紀元前334年~、アレクサンドロス大王の東方遠征で東西文化が融合したヘレニズム文化が生まれる
■紀元前27年、200年間にわたって続いたローマ帝国の最盛期は、30万キロの幹線道路が支えていた
■313年、イエスが説いたキリスト教がパウロの布教活動をきっかけに世界宗教へと飛躍した
■800年、ゲルマン人が建てたフランク王国のカール大帝が西ローマ帝国を復活させた
■1096年、計7回の十字軍遠征で当初の目的ははたせなかったが、ヨーロッパ経済が変化した
■14世紀、経済成長を背景にはじまった文化や思想の新しい動きがルネサンスの呼び水となる
■14世紀半ば、「黒死病」とも呼ばれるペストが猛威をふるい、欧州人口の30%以上が死亡
■16世紀、世俗にまみれて堕落・腐敗したローマ・カトリック教会に抵抗するプロテスタントが生まれる
■15世紀、大海原に漕ぎ出したヨーロッパの航海者たちが世界経済を大きく変えた
■16~18世紀、覇権争いを繰り広げるヨーロッパの強国が世界各地に植民地を築く
■紀元前8~4世紀、オリエント世界に興ったアッシリアとアケメネス朝ペルシアが世界帝国として君臨する
■紀元前500年頃、アジア各国で信仰され、世界宗教のひとつになっている仏教がインドで生まれる
■4~6世紀、インドで産声をあげ、民衆の間に浸透したヒンドゥー教が仏教を駆逐
■610年頃、アラビア半島のオアシス都市メッカでアッラーを唯一神とするイスラーム教が成立する
■661年、勢力拡大を続けるイスラーム教がカリフの暗殺をきっかけにスンナ派とシーア派に分裂
■16世紀、地中海の覇権を握り異教徒を効果的に使ってオスマン帝国が大帝国に成長
■18世紀、躍進するイギリスで現代の資本主義社会につながる産業革命が起こる
■1775年~、イギリスの植民地への重圧が植民地の人々を怒らせ、アメリカ独立戦争が勃発
■1789年、英仏戦争での財政悪化とブルボン王朝の贅沢三昧がフランス革命の火種となった
■1804年、フランス革命を引き継いだフランスの英雄ナポレオンが〝ヨーロッパ帝国〞を建設する
■1861年~、産業構造の違いが原因で北部と南部の対立が深まり、アメリカ南北戦争が勃発
■19世紀後半、「眠れる獅子」と呼ばれた清がアヘン戦争でイギリスに負け、列強のアジア進出が加速
■1917年、中東の権益を狙うイギリスが現在のパレスティナ紛争につながる3枚舌外交を展開する
■1929年、世界恐慌が起こり、ブロック経済とファシズムが生まれ、世界は再び戦争へ向かう

『地図でスッと頭に入る世界史』監修者

祝田秀全(いわたしゅうぜん)
東京出身。歴史学専攻。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、代々木ゼミナール講師を経て、現在北九州予備校東京校で東大世界史講師を務める。『銀の世界史』(筑摩書房)、『東大生が身につけている教養としての世界史』(河出書房新社)、『2時間でおさらいできる世界史』(大和書房)、『歴史が面白くなる東大のディープな世界史』(中経出版)、『エリア別だから流れがつながる世界史』(朝日新聞出版)など、多数の著書・監修書がある。趣味はコーヒー飲用。ジャマイカのあの山の中腹でとれるコーヒー豆を炒って飲んでみたい。それに古典落語鑑賞。

『地図でスッと頭に入る世界史』を購入するならこちらから

リンク先での売上の一部が当サイトに還元される場合があります。
1 2 3

記事をシェア

※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。

まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!

エリア

トップ > カルチャー >  海外 > アジア > 中国 >

この記事に関連するタグ