更新日: 2024年1月23日
台湾で八田與一がしたこと~台湾南部を沃野に変えた日本人
台湾で慕われる八田與一(はったよいち)は、日本統治時代に活躍した技師です。荒野だった台湾南部を一大農業地帯に変えた存在として知られ、慕われています。現在も台湾では、八田與一の慰霊祭が毎年実施されています。
台湾発展に尽力した八田與一は烏山頭ダムの立案者
台湾の湾南部には広大な嘉南(かなん)平野が広がっています。ここは台湾最大の穀倉地帯であり、台湾の農業を支える存在です。一帯は温暖冬季少雨気候で、冬場にはほとんど降雨がなく、沿岸部では塩害も激しいものでした。そのため、清国統治時代は荒野が広がっていたといいます。
八田與一技師が考えた大規模な開発計画
この平原を沃野に変えるべく、大規模な開発計画が立てられました。
立案者は八田與一(はったよいち)技師です。
鳥山嶺(うざんれい)の山麓に烏山頭(うざんとう)ダムを設け、曽文渓(そぶんけい)から地下水道を造って導水し、1億5千万㎥を貯水する。そして、嘉南大圳(かなんたいしゅう)と呼ばれる灌漑用水路を南部一帯に設けて嘉南平野を潤すというもの。
竣工は1930(昭和5)年4月10日。総延長は約1万km、排水路は約6千kmという大工事でした。
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