更新日: 2024年11月6日
平安時代の後宮ってどんなところ?紫式部が暮らしていた後宮の生活とは?
貴族の文化が栄えた平安時代の後宮。政権を手に入れるため、藤原氏たちは娘を競って帝(みかど)に入内(じゅだい)させますが、皇子が誕生しなければ家の将来はありません。
どうやったら、天皇の寵愛を受けることができるか。妃(きさき)たちがひしめく後宮は、雅で厳しい権力闘争の舞台だったのです。熾烈な後宮の世界を見ていきましょう。
後宮(こうきゅう)とは
中宮・彰子(しょうし)に仕えた紫式部の職場となった後宮(こうきゅう)は、天皇の后妃(こうひ)や女官などが暮らした建物群の総称です。天皇の住んだ清涼殿(せいりょうでん)などの殿舎の後方にあることからその名で呼ばれました。
当時の後宮は、仁寿殿(にじゅうでん)北側にある七殿五舎(しちでんごしゃ)の建物で構成され、渡り廊下で連結されていました。
平安時代の後宮、七殿五舎とは?!
后妃の多くは殿舎を割り当てられ、『源氏物語』においても、桐壺更衣(きりつぼのこうい)、藤壺(ふじつぼ)の中宮、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)など、住んでいた御殿の名称を冠した通称で呼ばれています。
とくに重視された殿舎が弘徽殿で、主に皇后や位の高い妃の在所となりました。のちに天皇の御座所に近い飛香舎(ひぎょうしゃ)も、彰子に与えられるなどして重要な位置を占めるようになりました。
また、後宮というと、江戸時代の大奥のように、男子禁制の印象が強いですが、それとは異なり、男性官人や貴族が自由に出入りすることができました。
※掲載の情報は取材時点のものです。お出かけの際は事前に最新の情報をご確認ください。
まっぷるトラベルガイド編集部は、旅やおでかけが大好きな人間が集まっています。
皆様に旅やおでかけの楽しさ、その土地ならではの魅力をお伝えすることを目標に、スタッフ自らの体験や、旅のプロ・専門家への取材をもとにしたおすすめスポットや旅行プラン、旅行の予備知識など信頼できる情報を発信してまいります!