目次
【大阪の旧街道】奈良から九州までを結んだ山陽道
飛鳥時代に大和国(現・奈良県)から西の九州・大宰府へ向かう幹線道路として設けられたのが、山陽道(のちの西国街道)です。摂津を東西に横断する山陽道には、芥川(現・高槻市)や郡山(現・茨木市)、瀬川(現・箕面市)などの宿駅が設けられました。
【大阪の旧街道】のちの世まで繫栄した暗越奈良街道
奈良時代には、大和と難波(現・大阪市)を結ぶ東西方向の街道が重視され、丹比道(たじひみち)(のちの竹内街道)や大津道(のちの長尾街道)など複数の街道が整備されました。そのうちの1つが、難波と平城京を最短距離(約35㎞)で結ぶ暗越(くらがりごえ)奈良街道です。
奈良時代には、唐や新羅の外国使節団もこの街道を行き来したといいます。江戸時代には大名の参勤路としても利用されました。最盛期に16の旅籠が軒を連ねたのは、街道唯一の宿場町「松原宿」(現・東大阪市)です。
暗越奈良街道は伊勢参りにも使われた
また、大和郡山藩(現・奈良県大和郡山市)の本陣が暗峠(くらがりとうげ)(現・東大阪市と奈良県生駒市の境)の村に置かれました。江戸時代中期から後期には、庶民が使う伊勢参りの街道としても使われたそうです。
【大阪の旧街道】大阪と平安京を繋いだ三島道
三島道は、平安京と摂津国府(現・大阪市天王寺区または中央区)や河内国府(現・藤井寺(ふじいでら)市)をつなぐ街道として整備されました。難波から北上して太田宿(現・茨木市)あたりで山陽道と合流したと考えられています。
【大阪の旧街道】大阪から高野山への参拝道・高野街道
高野街道は都や摂津を始点とする、高野山への参拝道として整備されました。いくつかのルートがあり、それぞれに名前がつけられています。
高野街道のうち、もっとも東に位置する東高野街道は京と河内国府を結ぶ道路として重用されました。
816年に弘法大師が高野山に金剛峯寺を開基すると、貴族たちに高野山への参詣が流行。その後、庶民にも仏教信仰が広がり、東高野街道は参拝道としてぎわいました。
江戸時代には、枚方(現・枚方市)や守口(現・守口市)に宿駅が設けられ、物資や人が往来したといいます。
【大阪の旧街道】大阪から熊野三山へつながる熊野街道
熊野街道は摂津を南へ縦断し、熊野三山(和歌山県田辺市、新宮市、那智勝浦町)へ向かう街道です。平安時代中期から鎌倉時代にかけては、蟻(あり)の行列にたとえて「蟻の熊野詣」と呼ばれる光景が見られたそうです。
大阪府下の旧街道と現在の交通網を比べてみよう
府下を縦横断する旧街道はこのほかにもあります。律令時代や江戸時代の地図と現在の地図を見比べながら、当時の旅を想像するのも楽しいでしょう。
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【見どころ―目次より抜粋】
Part.1:地図で読み解く大阪の大地
大阪の歴史は水を起源とするとされる理由
大阪府の属する関西・近畿・畿内の違い
こんなに違った古代の大阪! 消えた河内湾と河内湖 ほか
Part.2:大阪を駆ける充実の交通網
西国へ、京都へ、熊野へ府下を通る旧街道の痕跡
どの道路が、なぜ混むのか?大阪の道路網の現状
徹底比較! 大阪の私鉄(阪急電鉄と阪神電鉄、京阪電気鉄道、近畿日本鉄道、南海電気鉄道) ほか
Part.3:大阪の歴史を深読み!
幕府軍が落とせなかった千早赤坂城の秘密
織田信長に恭順して残された富田林寺内町
天下の台所として日本経済を支えた中之島 ほか
Part.4:大阪で生まれた産業や文化
ダイハツ、パナソニック・・企業城下町の今
万博、花博、EXPO2025など国際博覧会の最多開催地・大阪
偉人たちが好んで食したなにわの伝統野菜 ほか
<コラム>
データで分かる74市区町村 人口と所得、観光、工業・農業・漁業
絵図で見る 大阪の川と「八百八橋」
鳥瞰図で見る 100年前がわかる大阪市パノラマ地図
鳥瞰図で見る 吉田初三郎が描いた90年前の大阪府
鳥瞰図で見る 大阪周辺にある歴代天皇・皇族の陵墓
絵図で見る 大坂冬の陣における諸将の配置
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