更新日: 2024年2月2日
平安時代の藤原氏~宮廷と政治を掌握し栄華を極めた一族
平安時代を知るためのキーワードとして外せないのが、藤原氏です。
権力闘争を繰り返し、摂関政治を極めた藤原氏ですが、その始まりは飛鳥時代の教科書にも出てくる有名な人物だということをご存知でしょうか。また、代表的な藤原氏といえば、藤原道長、藤原定子、藤原彰子。紫式部の父親と夫も藤原氏の一族です。
平安時代の藤原氏について、人物を中心に知識を深めていきます。
目次
平安時代の藤原氏~藤原四家の争い(平安時代初期)
もともと藤原氏は、乙巳(いっし)の変から始まる大化の改新で活躍した中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、「藤原」の姓を下賜(かし)されたのを始まりとする一族です。その子・藤原不比等(ふひと)は大宝律令(たいほうりつりょう)編纂の中心的役割を果たすなど活躍し、娘を天皇の夫人にして皇室と姻戚関係を結び、政治を主導しました。
やがて藤原氏は不比等の4人の息子を祖とする南家(なんけ)、北家(ほっけ)、式家(しきけ)、京家(きょうけ)の四家に分かれ、平安時代初期にかけて四家が権力争いを繰り広げます。京家は栄えず、南家は一時勢力を伸ばすものの衰退します。代わって式家が政権を主導しますが、薬子(くすこ)の変によって没落し、北家が優位となったのです。
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