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紫式部と清少納言の関係を語る上での紫式部の生い立ち
紫式部は970年代に、『新古今和歌集』に和歌を収録される歌人にして著名な漢学者・藤原為時(ためとき)のもとに中流貴族の娘として生まれました。為時の家系は藤原北家(ほっけ)に連なり、歌人や漢学者を多く輩出した家系です。
学者の家系に生まれた少女は漢籍の知識豊かな女性へと成長し、紫式部はまたいとこの貴族・藤原宣孝(のぶたか)と結婚します。けれども長保3年(1001)、夫の宣孝が当時都で流行した天然痘(てんねんとう)にかかって病死し、紫式部の結婚生活はわずか3年ほどで終わりました。夫との死別後、一年ほどして『源氏物語』を書き始めています。
その後、中宮・彰子に出仕。彰子サロンを代表する女房として活躍し、後宮での様子を『紫式部日記』に残しています。
紫式部と清少納言が付いていた中宮の女房とは
紫式部や清少納言は、中宮の女房としてどのような仕事をしていたのでしょう。
もともと後宮で働く女官の仕事は、律令(りつりょう)(古代国家の基本法)で細かく定められ、後宮内には後宮十二司と呼ばれる役所がありました。
とくに内侍司(ないしのつかさ)は、天皇と役人との連絡役という重要な責任を持つ役所で、清少納言も、内侍司の実質的な長官だったのです。清少納言は、典侍(ないしのすけ)に憧れていたことを『枕草子』で告白しています。
一方で中宮には、貴人の装束を裁縫・調達する御匣殿(みくしげどの)などの女官が配されていましたが、中宮は私的な女房も抱えていました。彼女たちは中宮の話し相手や食事の給仕だけでなく、女官の仕事を一部兼ねるようになります。宮中儀式ヘの参加や奉仕、来訪する貴族や官人の接待や取次役など、多くの仕事をこなすようになったのです。とくに貴族や官人たちとの折衝(せっしょう)は重要な役目で、才知に富んだ清少納言は多くの貴族から信頼されたようです。
紫式部は『紫式部日記』において、彰子の上臈(じょうろう)女房がこうした役割をきちんと果たせないことに不満を漏らしています。
このように、ひっきりなしに訪れる貴族の対応を行なうのが、後宮の女房たちの大きな仕事でした。
紫式部と清少納言:『枕草子』と『紫式部日記』
『枕草子』に登場する「香炉峰(こうろほう)の雪」という逸話があります。
清少納言は、定子から「香炉峰の雪はどんなであろうか」という問いを受けた際、漢詩の知識を生かして、『白氏文集(はくしぶんしゅう)』にある「香炉峰の雪は簾(すだれ)をかかげて看みる」という一文を踏まえ、簾をかかげて庭の雪を見せたという話です。
このように、『枕草子』には清少納言と貴族たちの当意即妙のやりとりが数多く登場します。一方で『紫式部日記』には、恥ずかしがって対応に出てこない先輩女房への苦言が記されています。
紫式部と清少納言:二人の関係
清少納言を女房の筆頭に形成された中宮定子のサロンは、紫式部が出仕した頃はすでに定子が没し、消滅していましたが、『紫式部日記』からは、定子没後、貴族の間に定子サロンを懐かしむ空気があったことがうかがえます。
『紫式部日記』によると、訪ねてきた貴族に上臈(じょうろう)女房たちが恥ずかしがって応対しないため、身分の低い者が応対し、中宮への伝言に支障をきたしたばかりか、貴族たちからは彰子のサロンは新鮮味がなくつまらない、昔は良かったと密かに批判されていたらしいというのです。貴族たちが懐かしがったのは清少納言のいた定子のサロンのことと思われ、紫式部は口惜しさをにじませています。
女房たちが恥ずかしがった背景
ただし当時、高貴な女性にとって男性と顔を合わせることは、はしたないとされていました。そのため多くの男性と接触する女房たちは軽薄とみなされた風潮があり、女房たちの引っ込み思案も無理のないものであったようです。
紫式部が、清少納言を意識していた
紫式部は清少納言を痛烈に批判し、強烈なライバル意識を持っていたようです。
紫式部と清少納言とは面識はなかったようですが、紫式部は清少納言のことを「軽薄でうぬぼれや」「利口ぶって漢字を書いている」と酷評しています。
紫式部が清少納言を酷評した理由
その背景には『枕草子』のなかで紫式部の夫・藤原宣孝が、派手な格好で参詣していると変人扱いされ、また、親戚の藤原信経(のぶつね)も字が下手と笑い者にされたことに反感を持ったことが一因といいます。
また、彰子の女房として、定子のサロンを懐かしむ風潮が後宮内にあることも面白くなかったのかもしれません。清少納言は定子の死後、再婚した夫の任地・摂津に行ったとされていますが、その晩年は不明です。
紫式部の清少納言に対する止まらない批判
紫式部は、『紫式部日記』で清少納言のことを得意顔で知識をひけらかしている、利口ぶっているが、学識の程度は足りない点が多い、「上っ面だけの噓」になった人の成れの果て……などといいたい放題の様相を呈しています。
二人の関係は、現代に生きる私たちにとって意外と分かりやすく、同時にとても興味深いものですね。同じ時代に生きた才女としての紫式部の思いは、『紫式部日記』に鮮明に記録されているのです。
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【監修者】竹内正彦
1963年長野県生まれ。國學院大學大学院博士課程後期単位取得退学。博士(文学)。
群馬県立女子大学文学部講師・准教授、フェリス女学院大学文学部教授等を経て、現在、國學院大學文学部日本文学科教授。専攻は『源氏物語』を中心とした平安朝文学。著書に『源氏物語の顕現』(武蔵野書院)、『源氏物語発生史論―明石一族物語の地平―』(新典社)、『2時間でおさらいできる源氏物語(だいわ文庫)』(大和書房)、『図説 あらすじと地図で面白いほどわかる!源氏物語(青春新書インテリジェンス)』(青春出版社、監修)、『源氏物語事典』(大和書房、共編著)ほか。
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