更新日: 2024年1月12日
鴻池新田の歴史~入植時の子孫が現在も住んでいる豪商が開拓した新田!
東大阪市の鴻池元町(こうのいけもとまち)は江戸時代まで大きな池でした。その跡地は町人によって干拓され、 甲子園球場の約47個分にも相当する広大な新田となっていきます。
鴻池新田:地形の成り立ち
太古の大阪湾は、現在の大阪平野の奥深くにまで入り込んでいましたが、川から流れ込む土砂によって縮小し、淡水湖化して湖となりました。この河内湖は、さらに縮小して深野池(ふこのいけ)と新開池(しんがいいけ)という池となります。
しかし1704年の付け替え工事で大和川の流れが変わると、ふたつの池の水位が下がって湿地が生まれ、新田として開拓されました。このうち、新開池跡の開拓地が鴻池新田です。
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