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大阪モノレール延伸:1960年代から計画されていた大阪モノレール
開業は1990年ですが、計画が考案されたのは1960年代です。
1970年の大阪万国博覧会開催に先立ち、観客輸送を円滑化するため路線の開設が唱えられました。この案は不採用となったものの、70年代後半にふたたび注目を集めることとなります。
国鉄(当時)や大手私鉄といった大阪府の鉄道路線は、大阪市内と周辺都市を放射状に結んでいます。そのため、違う路線に乗り換えるためには、一度大阪市内に出るか陸上交通を利用する必要がありました。この不便を解消し、放射状の路線を円形につなぐ手段とされたのが、大阪モノレール線だったのです。
大阪モノレール延伸:第三セクター「大阪高速鉄道」が設立され開通へ
路線開設のために大阪府と各種鉄道企業は、1980年に第三セクター方式の「大阪高速鉄道」を設立します。地下鉄や地上路線ではなくモノレールとなったのは、大阪中央環状線(府道2号線)や近畿自動車道などの整備費用が兼用でき、鉄道会社の負担軽減と工事の効率化が見込めるからです。
ところが、土地買収が難航したため路線の開通は1990年まで延びることとなります。この年に千里中央〜南茨木駅間が開通しました。1994年には、千里中央〜柴原(しばはら)(現・柴原阪大前)駅まで延伸し、1997年4月に大阪空港〜柴原駅、8月には南茨木〜門真市駅の区間が開通したのです。そして京阪本線、地下鉄谷町線、阪急宝塚線などへの接続も実現し、各路線を結ぶバイパスにもなりました。
大阪モノレール延伸計画は続く…
さらに大阪府は、大阪モノレール彩都線として2007年に万博記念公園〜彩都西駅の延伸も実行しました。茨木市と箕面市(みのおし)間の国際文化公園都市(彩都)の交通アクセスとするためです。ただし、当初は東部への乗り入れも計画されていましたが、採算が見込めず西部止まりとなっています。
将来的には、2029年を目途に門真市から東大阪市の瓜生堂(うりゅうどう)へと延伸させる計画も組まれています。その途中4駅では近鉄奈良線などとの接続が予定され、実現すれば既存鉄道との連携がより強化されることでしょう。
大阪モノレール豆知識
大阪モノレール線の1000系車両は、車体はアルミ製で運転席つき車両と2両目の間の貫通幌は、2両が1室に感じられる幅広のものを採用しています。同線にはほかにも2000系と3000系が運行しています。
また、彩都線と本線との分岐駅である万博記念公園駅の手前の線路には、2本の線路は交差しているため、分岐器によって切り替えられています。
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大阪のトリセツ なにわおもしろ学■目次
≪巻頭特集≫
●「在りし日の大阪の姿 なにわ今昔物語」(写真絵葉書で構成するグラビア)
●浪花百景の名所(浮世絵師・長谷川貞信が描いた大阪の風景)
●昭和初期の鳥瞰図で見る大阪(近畿名勝遊覧早わかり地図-昭和6年-)
●江戸末期の古地図で見る大阪(浪華名所独案内)
●大阪府市区町村マップ
≪本編≫
第1章 地形から読み解く知られざる大阪
第2章 大阪の知られざる鉄道・交通網秘話
第3章 大阪が誇る城跡・名建築をたどる
第4章 そのとき歴史は動いた ~大阪の歴史をひも解く~
第5章 大阪名物の意外なルーツ
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