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縄文時代の服装:優れた布織技術

前述したように、縄文人はすでに、ハレ着のようなデザイン性の高い衣服を編むまでに高度な編み物技術を身に付けていました。植物繊維を編み上げて布を作り出し、それを縫い合わせて自分たちで衣服を完成させていたのです。

また、木や竹、蔓などを編んでポシェットやカゴなども作っていたようです。これを編組(へんそ)といいます。三内丸山遺跡からはヒバの樹皮で編んだ「ポシェット」が出土しています。採集を行う女性たちは、編組製品であるカゴを下げていたかもしれません。
編み方としては主に縦材と横材を交互に編む「網代(あじろ)編み」と、縦材を横材に結び合わせていく「もじり編み」が確立されていました。

現代にも伝わる縄文時代の服装の作り方

縄文人による衣服などの布作りは、まず石器などを使って切り取った麻の茎を乾かすところから始まります。その繊維を手で撚って太さ1㎜程度の糸を作り、それを編布(あんぎん)編みで布に仕立てました。

編布編みとは、アミ肢に支えられた横木に縦糸をコモ槌に巻き付けて吊り下げ、これに横糸を交差させながら編み上げていく編み方です。編布台に、カラムシや大麻などから採取した繊維から作った糸を横一列に引っ掛け、糸1本1本に重しとなるコモ槌をつける。コモ槌の重さを利用して紐を交互に潜らせながら編んでいく。服を1着編むのに1年ほどを要したといいます。

こうしてできた布は日本最古の布といわれており、ベンガラやハシバミで染めることもありました。編布編みは「越後アンギン」として現代に受け継がれており、実際に簾すだれなどに使われています。

縄文時代の服装:アクセサリー・装身具

縄文時代は様々なアクセサリーを身に着けていました。とくに代表的なのが耳飾りで、早期末から前期に登場し、短期間で全国に広まったようです。

最初は石で作った中国の玉器「玦(けつ)」に似た「玦状耳飾り」が作られていましたが、中期になると土製の耳飾りが中心となり、滑車形の耳飾りが主流になっていきます。耳飾りを専門に製作する職人がいた集落もあったようです。また、耳飾りのほかにも貝殻製の腕輪、シカの角で作った腰飾りや胸飾りなど、多様なアクセサリーが出土しており、縄文人の優れた美的センスがうかがえます。

縄文時代の服装にはアクセサリーも欠かせない

縄文人が男女ともにアクセサリーを好んだ背景には、次のような4つの目的があったようです。
•自己能力の拡張
•成人の証と性的魅力の向上
•呪術的な観点からの身体、心理の保護
•地位や権威の象徴

そのため、年齢と性別によって身に着ける装身具の数や種類は異なりました。土製耳飾りは大人のみに許されていたようで、通過儀礼を経るなかで大きさを変えていったのかもしれません。装身具は壮年、熟年期に最も多くつけていたほか、関東以西の女性は腕輪をつける例が多かったようです。

縄文時代の服装を彩るおもな装身具

縄文人たちは造形美に優れた多様な装身具を身に着けていました。日常生活でも用いられ、社会的地位を示すという目的もあったようです。詳しくまとめてみましょう。

【櫛】
縄文時代前期頃から見られる装身具で、櫛歯の長い竪櫛が使われていました。木、骨、角などが素材として使われ、ウルシをかけて美しく仕上げたものも見られます。

【簪(かんざし)笄(こうがい)】
いわゆるヘアピンで、縄文時代早期から全国的に見ることができます。1本の針状のものと、先端が二股に分かれるものがあり、男女の別なく結髪を留めたり飾ったりするために用いられました。

【耳飾り】
最古の形は1か所に切れ目のある石製の玦状耳飾りで、リングの切れた部分からはめ込んで装着した。一方、晩期の東日本に登場した滑車形耳飾りは土製です。女性が一定の年齢に達すると耳たぶに穴を空けて着用し、成長に従って大きいものに変えていったと考えられています。

【首飾り】
ヒスイや貝殻、動物の歯などに穴を空けて紐を通して使用したと思われます。中期には大型のものが作られたが、後期以降小型化しました。

【指輪】
縄文晩期の東北・北陸にてわずかに発見されたのみ。骨角製や石製のものがあります。

【鹿角製腰飾り】
集落のリーダーとなった熟年の装身具と考えられます。

【腕輪】
縄文時代早期末に登場した装身具で、を主要な素材とする一方、土製、木製など様々な種類がありました。

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地図でスッと頭に入る縄文時代■一部内容抜粋

□南方の縄文人は、丸木舟で海を渡って日本にやってきた
□とある村は65歳以上が3割 縄文人は意外と長生き!
□東日本の縄文人はクリ、西日本はイチイガシが好物、クッキーやハンバーグも作った
□摂取カロリーは現代人並み! 1万年も戦争がなかったのは“豊かな”社会だったから
□縄文時代にも起こった大地震 鬼界カルデラの大噴火で壊滅した南九州の縄文文化
□縄文土器のデザインを見ると、地域ごとの交流のようすがわかる
□ストーンサークルは日時計? 縄文人が時間を認識していた可能性
□抜歯の激痛に耐えられれば、一人前の大人として認められた
□すでにガンに悩まされていた! 縄文人の病歴を示す三貫地遺跡の頭蓋骨
□DNA分析で判明! 縄文人は弥生人に駆逐されたのではなく、次第に混血していった
□縄文人にとってイヌは大事なパートナー(狩りに用い、死ぬときちんと埋葬した)

【監修】 山田康弘(やまだ やすひろ)

1967年東京都生まれ。筑波大学第一学群人文学類卒業、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科中退。博士(文学)。現在、東京都立大学人文社会学部教授。専門は先史学。縄文時代の墓制を中心に当時の社会構造・精神文化について研究を行う一方で、考古学と人類学を融合した研究分野の開拓を進めている。

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