更新日: 2024年11月7日
縄文人に迫る。縄文人のルーツや身体的特徴、話していた縄文語って?!
日本独自の縄文文化は、旧石器時代に複数回にわたり渡来した人々により生まれました。彼らはどこを回って渡来してきたか、顔つき、体格、どのようなコミュニケーションをとっていたのか。縄文人に迫ります。
縄文人はどこから来たのか:見えてきた4つのルート
日本の石器時代の存在が明らかとなったのは、明治時代初期のこと。1877年、アメリカの動物学者モースが、東京の大森駅近くの路線の切通しで大森貝塚を発見したことがきっかけでした。出土した土器に施されていた縄目文様から、のちにこの時代は「縄文時代」と呼ばれ、日本独自の土器文化が存在した時代と位置付けられました。
縄文文化の担い手となった縄文人。その祖先にあたる人々は、旧石器時代の4万年から3万8000年前に日本に渡来してきたと考えられています。
渡来ルートは朝鮮半島から北部九州へ至る西回りルート、シベリアから樺太(からふと)を経由して北海道へと至る北回りルート、同じくシベリアから南下して朝鮮半島を経て日本へ至るもうひとつの北回りルート、そして南西諸島を北上する南回りルートの4つが推定されており、石器の交代などから、時期を変えて複数回にわたって渡来してきたと考えられています。
東アジア最古段階の土器が、草創期(1万6500年前〜1万1500年前頃)の北海道や朝鮮半島など、周辺の国々や地域から発見されていないことに加え、土器出現前夜の石器がシベリアに起源を持つと考えられることから、縄文文化は北方アジアの文化を母体としつつ、日本国内で発祥した独自の文化と推測されています。
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