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蘇我氏が滅んだ乙巳(いつし)の変。中大兄皇子らがクーデターを起こす!

蘇我氏の専横に対して、朝廷内やその周辺では不満が高まり、もはや限界となっていきます。

そうしたなか、反蘇我氏勢力がクーデターを計画します。中心人物は中大兄皇子と中臣鎌足。中大兄皇子は舒明天皇と皇極(こうぎょく)天皇との間に生まれた申し分のない血統の皇子で、次期天皇になれる立場でしたが、異母兄の古人大兄皇子が蘇我氏の血を引いていたため、即位できるかどうかはわかりませんでした。

一方の中臣鎌足は、祭祀をもって政権に仕える有力豪族の中臣氏出身でしたが、蘇我氏政権下で冷遇されていました。そんな二人が飛鳥寺(あすかでら)の蹴鞠(けまり)の会で出会い、意気投合。蘇我氏一族の蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわまろ)を仲間に引き入れ、蘇我氏打倒計画を練りました。

そして645(大化元)年6月、中大兄皇子らは蘇我入鹿を飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に呼び出し、朝鮮三国が倭王に貢物を献上する「三韓進調(さんかんしんちょう)の日」の儀式のさなかに襲撃。中大兄皇子が蘇我入鹿を斬り殺したのです。その後、中大兄皇子は飛鳥寺に陣を敷き、軍備を整えて蘇我入鹿の父蝦夷打倒を画策します。しかし、蘇我蝦夷は反撃に出る前に観念し、自刃(じじん)して果てました。この政変を乙巳の変といい、古代史における重大なターニングポイントとなったのでした。

蘇我氏が滅んだ乙巳(いつし)の変。中大兄皇子らがクーデターを起こす!

中大兄皇子が陣をおいた飛鳥寺

中大兄皇子による蘇我氏討伐の経過

645年
6月12日 中大兄皇子と中臣鎌足が飛鳥板蓋宮に呼び出した蘇我入鹿を儀式中に斬り殺す
6月13日 飛鳥寺で中大兄皇子は軍備を整え、入鹿の父蘇我蝦夷打倒を画策
6月14日 追い詰められた蘇我蝦夷が自宅に火を放って自害する

蘇我氏ゆかりの地:伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきのみや)・蘇我入鹿の首塚 奈良県明日香村

蘇我氏ゆかりの地:伝飛鳥板蓋宮(でんあすかいたぶきのみや)・蘇我入鹿の首塚 奈良県明日香村
飛鳥寺にある蘇我入鹿の首塚

飛鳥板蓋宮は乙巳の変の舞台で、皇極天皇の宮殿とされています。皇極天皇の後継の孝徳(こうとく)天皇はここから難波へ遷都しましたが、10年後に皇極天皇が 重祚(ちょうそ)して斉明(さいめい)天皇になると、再びここへ遷都し、天武(てんむ)天皇、持統(じとう)天皇まで宮殿として使われました。

蘇我入鹿の首塚蘇は、入鹿の首は飛鳥寺方面に飛んで行って落下したといわれています。その首が埋められたとされる場所に、五輪塔が建っています。

飛鳥寺

住所
奈良県高市郡明日香村飛鳥682
交通
近鉄橿原線橿原神宮前駅から奈良交通飛鳥駅行き「赤かめ」(明日香周遊)バスで19分、飛鳥大仏前下車すぐ
料金
拝観料=大人350円、中・高校生250円、小学生200円/(30名以上の団体は大人320円、中・高校生220円、小学生170円、障がい者は大人170円、中・高校生120円、小学生100円)

【蘇我氏の従来説】蘇我氏は専横ぶりが甚だしく、邪魔者を次々と蹴落とした稀代の悪玉である

乙巳の変で討たれた蘇我氏は、古代史きっての悪役として知られています。確かに『日本書紀』には前述のような悪行が書き立てられており、それらを鵜呑(うの)みにするならば稀代(きだい)の悪玉という印象をもたずにはいられません。しかし近年は、その蘇我氏の評価が変わってきています。

【蘇我氏の最新説】蘇我氏が残した功績は大きい。『日本書紀』によって意図的に悪玉に仕立て上げられた?

実は蘇我氏が残した功績は意外なほど多いのです。

まず、国防強化に貢献しました。蝦夷・入鹿が宮殿を見下ろす甘樫丘(あまかしのおか)に邸宅を構え、「宮門(みかど)」と称したことが非難の対象になりますが、この場所が選ばれたのは唐や朝鮮半島からの外敵の侵入に備えるためだった可能性があります。当時の緊張した東アジア情勢に精通していた蘇我氏だからこその判断といえるかもしれません。

また、飛鳥宮の都市計画や渡来人の積極登用などもあげられます。飛鳥宮の宮殿は蘇我氏から提供された私邸で、整然とした都市計画に基づいて造営されました。こ の計画は蘇我氏によるものとされています。また、蘇我氏は渡来人集団を支配下に置き、彼らがもっている鉄の生産技術、灌漑工事の技術、文字の読み書きなどをいち早く導入しました。

ヤマト政権の財政管理も見逃せません。稲目の時代、蘇我氏が政権の直轄地である屯倉(みやけ)の管理・運営に尽くしたことで政権の財政基盤が確立されたのです。さらに、馬子の時代につくられた戸籍は、のちの大化改新で作成された戸籍・計帳につながっています。

『日本書紀』の編纂の舵取り役は、中臣鎌足の子の藤原不比等でした。不比等が父や中大兄皇子の功績をより輝かせるには、蘇我氏を悪者にすればよい。はたして、そうした意図がはたらいていたのかどうか――。

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淡路島の銅鐸、蘇我氏や大王家の古墳など21世紀に入ってからも新発見が相次ぎ、注目を集め続ける日本の古代史。その歴史を解くカギは限られた文献と、神話と出土品のみであるため、未だ解明されない謎が多いのです。
そもそも日本人がどのように生まれたのか、天皇家がどのように誕生したのかも判然としません。

こうした古代史を読み解く上で、もうひとつ重要な鍵となるのが地図。日本人の成り立ちも、縄文人の生活も、地図を読み解くことによって明らかとなります。さらには日本最初の都が飛鳥に生まれた理由や京都盆地が都建設地に選ばれた理由も当時の豪族の勢力圏から浮き彫りに。古代史のトピックを解説しながら、これらにまつわる謎を地図によって読み解きます。

第1章 縄文・弥生時代

【縄文・弥生時代の流れ】 大陸から日本へやってきた人々がクニをつくり各地で戦争を繰り広げる
【日本への長い道】 何のために、どんなルートを通り、日本へたどり着いたのか?
【縄文人の生活】 高度な技術で多様な道具をつくり、危険をおかして遠距離を移動!
【戦争のはじまり】 中国の史書が記す「倭国大乱」はいったいどこで起こったのか?

~クローズアップ古代史~
稲作がはじまったのは弥生時代ではなく、縄文時代だった!
曹操の墓で発見された鉄鏡が邪馬台国の九州説の裏づけになる?

第2章 古墳時代

【古墳時代の流れ】 ヤマト政権による統一が進むとともに各地に築造されていく巨大な前方後円墳
【倭の五王】 中国に使者を送り続けた5人の王 彼らの正体を明らかにする
【巨大古墳の登場】 前方後円墳はヤマト政権のシンボル それが全国につくられた意味とは?

~クローズアップ古代史~
日本最大の前方後円墳は仁徳天皇の陵墓でない!

第3章 飛鳥時代

【飛鳥時代の流れ】 朝鮮半島から日本へ仏教が伝わり、中大兄皇子のクーデターで大化改新が実現
【崇仏論争】 仏教を受け入れるか拒絶するか……激化する蘇我氏と物部氏の争い
【大化改新】 天皇中心の中央集権体制を目指し、新政権がいよいよスタートを切る
【天武天皇の政治】 律令体制が次第に整い、日本がようやく「国」になった!

~クローズアップ古代史~
聖徳太子が建立した法隆寺の現在の建物は再建されたもの?
大化改新は虚構ではなく、確かに大きな改革が行われていた!

第4章 奈良時代

【奈良時代の流れ】 政争や疫病などの社会不安が相次ぐなか、平城京に律令体制の中央集権国家が完成!
【遣唐使派遣】 命の危険をおかして中国に渡った留学生たちが唐で得たものとは?
【聖武天皇と鎮護国家】 仏教で社会不安を鎮めようとした聖武天皇の篤き願い
【平安京遷都】 長岡京の建設中に決まった平安遷都 なぜ桓武天皇は心変わりしたのか?

~クローズアップ古代史~
平城京では「破斯清通」という名のペルシア人が働いていた!?
奈良時代の人々も知恵を絞ってさまざまな疫病対策を試みていた!

[監修者] 瀧音能之(たきおとよしゆき)

1953年北海道生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒、博士(文学・早稲田大学)。
現在、駒澤大学教授。日本古代史、特に『風土記』を基本史料とした地域史の研究を進めている。主な著書に『風土記と古代の神々』(平凡社)、『古代日本の実像をひもとく出雲の謎大全』(青春出版社)、『出雲大社の謎』(朝日新聞出版社)などがある。

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